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身近なガラス 命吹き込み 稲嶺盛吉さんを悼む 宮城篤正(元県立芸術大学学長、美術評論家) 


身近なガラス 命吹き込み 稲嶺盛吉さんを悼む 宮城篤正(元県立芸術大学学長、美術評論家)  琉球ガラス制作の先駆者として「泡ガラス」の技法を確立した稲嶺盛吉さん=2007年
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 稲嶺盛吉さんとは、沖展のガラス部門ができた際に一緒に審査員をした頃からの仲だ。稲嶺さんが美術展を開催する時、作品集を出す時はいつも展評を頼まれた。訃報には、とてもショックを受けた。
稲嶺さんは15歳の頃に奥原硝子(ガラス)製造所で働き始めた。戦後、物がない沖縄では、米軍が飲んだビールやコーラの空き瓶を原料にした再生ガラスでコップを作っていた。再生ガラスだと作品に気泡が出てしまう。稲嶺さんはそれを逆手に取り、あえて泡をたくさん吹き入れ、泡ガラスを作った。アイデアマンだ。
泡が入ったコップは失敗作扱いされたが、彼の泡ガラスは県内外、海外からも評判。米軍関係者などが、置物など実用品以外も注文するようになったようだ。元々実用品だった再生ガラスが沖縄の工芸品として確立されたのも、稲嶺さんらら現代の名工に選ばれた3人の功績だ。物がない中で身近にある物を生かす前向きな仕事が後世に与えた影響は大きい。後継の育成にも尽力した。
「語りぶしゃあしが もの言らんガラス 命吹ちくみてぃ 語てぃみぶしゃ(語り合いたいが ものを言わないガラス 命を吹き込んで 語ってみたいものだ)」
稲嶺さんが詠んだ琉歌にはガラス工芸への思いが表れている。稲嶺さんの工房で、彼が作った泡ガラスでよく一緒に酒を飲んだことを思い出す。ご冥福をお祈りする。
(元県立芸術大学学長、美術評論家)