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日米通算250セーブを 達成したオリックス投手の 平野佳寿さん 重圧向き合い、大記録到達


日米通算250セーブを 達成したオリックス投手の 平野佳寿さん 重圧向き合い、大記録到達 日米通算250セーブを達成したオリックス投手の平野佳寿さん
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 「一発打たれたら全部が水の泡」という試合の最後を締める重圧と、長く向き合い続けてきた。「想像もしていなかった。積み重ねてきた結果」。日本選手では過去3人しかいなかった大記録に到達した。
 京都・鳥羽高では無名だったが、京都産業大で監督として指導した勝村法彦さんは「自分の体をちゃんと知っていたのがすごい」と話す。入学当初は線が細かったものの、日々こなすと2人で決めたメニューに欠かさず取り組み、屈強な体をつくり上げた。
 2006年にプロ野球オリックスに入団後は先発投手として大成できず「くすぶっていた」。転機は10年。監督に岡田彰布氏(現阪神監督)が就任すると「球が強い。中継ぎでいける」と適性を見いだされた。同年から5シーズン連続60試合以上に登板し、14年には最多セーブのタイトルを獲得した。
 米大リーグではダイヤモンドバックスなどでプレー。21年に古巣に復帰すると、パ・リーグ3連覇に貢献した。
 失点を喫した翌日の登板でも平然と抑える。切り替えの早さに、インターネット上では失点後にベンチで笑っているように見える写真が投稿されるほど。
 「もちろん笑ってませんよ。すぐには切り替えられない」と苦笑するが、暗い顔は見せないようにしている。
 今季、同僚の阿部翔太投手がサヨナラ本塁打を浴びた後、申し訳なさそうにしている姿を見て「謝る必要はない。その代わり次は抑えないとあかんで」と説いた。39歳。京都府出身。