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評伝 谷村新司さん 国境を超えた歌 「昴」に導かれた人生


評伝 谷村新司さん 国境を超えた歌 「昴」に導かれた人生 谷村新司さんの主な作品
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 「音楽は国境を超える」との信念を持ち、各国のミュージシャンやファンとの交流の場に進んで出ていった谷村新司さん。中国をはじめアジア圏で広く愛された代表曲「昴(すばる)」に導かれた人生だった。異国の地で朗々と歌うと、言葉の違う人々も心を開き、やがて合唱大会に。民間国際交流の架け橋的な存在になった。
 (27面に関連)
 「間違いなく、僕の人生を変えたのは『昴』。あの歌が壮大な旅にいざなってくれた」と生前、熱く語っていた。夜空に浮かぶ星団に旅人が願いを込めるさまを歌ったこの曲は、ずっと心の中にあった「故郷」を描いたのだという。
 「幼い頃から、地平線まで草原が続き、遠くに山並みが広がる風景が浮かんでいた。まだ行ったことがない所なのになぜか懐かしかった。初めて中国を訪れた時、ああここだ、前世は中国人なんだろうと思いました」
 1981年夏、北京で、当時の中国としては異例の本格的なポップスコンサートが開かれ、招かれたのが谷村さんが所属していたグループ「アリス」だった。客席には鄧小平氏ら中国共産党の幹部がずらりと並び、演奏が始まっても拍手も歓声もなく緊張が続いていた。
 谷村さんは禁止されていた行動に出た。ギターを抱えて、鄧氏の席の前に迫り、激しいサンバをかき鳴らす。鄧氏が笑って立ち上がり、手拍子を始めると、他の全員も一斉に立ち、延々と拍手を続けた。「中国にロックが伝わった瞬間だと思います」とうれしそうに述懐していた。
 アリス解散後、ソロになった谷村さんはアジアの歌い手たちとの交流を始める。80年代半ば、香港のアラン・タムさん、韓国のチョー・ヨンピルさんを東京に招待、自宅で酒を酌み交わした。愛読していた三国志の名場面「桃園の誓い」になぞらえたという。
 劉備、関羽、張飛が桃園で義兄弟になったように「自分たちの誰かが世界進出できたら、他の2人はサポートに回ろう」と誓い合った。その後一緒にソウルやシンガポールでライブを行い、平和のメッセージを伝えた。場内でいつも大合唱になったのが「昴」だった。
 「あの大陸的なメロディーがどうして生まれたのか、今も説明ができない。でも、『昴』のおかげで、音楽が人と人の絆を結ぶところを何度も見ることができた。僕の人生の宝ですね」
 その姿は、義に生きた三国志の英雄、劉備に重なっても見える。「昴」は今日も明日もアジアのどこかで歌い継がれていくのだろう。(田沢穂高 共同通信記者)

第50回NHK紅白歌合戦で「昴(すばる)」を歌う谷村新司さん=1999年12月、東京都渋谷区のNHKホール