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ローラーゲームで一世風靡 ダンスや役者としても活躍 還暦のレジェンド、世界の「ゾロ」古堅勇さん<県人ネットワーク>


ローラーゲームで一世風靡 ダンスや役者としても活躍 還暦のレジェンド、世界の「ゾロ」古堅勇さん<県人ネットワーク>  古堅 勇さん
この記事を書いた人 Avatar photo 斎藤 学

 楕円(だえん)形のサーキット・コースをローラースケーターが疾走する。相手への体当たりは付きもの。時には追いすがる敵対スケーターに激しく当たり、抱えてたたき落とす荒技も。かつての映像を見ると禁じ手もお構いなしだ。5対5のまさに格闘技。周回を重ねて得点するポイントゲッター1人をいかに敵の攻撃から守り抜くか。ローラーゲームというバトルの舞台で一世を風靡(ふうび)し、その勇姿は今も燦然(さんぜん)、現役を貫くレジェンドだ。

 1970年代後半、浦添市勢理客に那覇ローラースケートランドがあった。米国の流行が最速で反映された沖縄。国内のローラーディスコ発祥の地とされ、技量を競うダンスコンテストも開催された。

 「ディスコダンスの流行は全国でも沖縄がすごく早かった。そこではローラーダンスコンテストがあってディスコダンスで外国人を押しのけて何回か優勝したんですよ」。高校生時代の16歳。持ち前の才能はすぐに開花し、頭角を現した。

 高校を卒業し、才能と技量をひっさげ勇躍する場所に選んだのは東京。ローラースケートを愛する「仲間を頼って上京した」と言う。そしてローラーゲームのプロが集うチーム「東京ボンバーズ」に入った。当時は試合展開の激しさも受け、プロレス並みに人気を博したという。そこでレギュラーメンバーとして活躍し、活動領域はその後、拡大していった。

 何事へも臆することなく挑戦するのが信条だ。「すべては勘違いの連続でしたけどね。今も勘違いし続けているかな」。そんな考え方もプラスになった。ミュージカル「スターライトエクスプレス」の公演で舞台を踏み、アイドルグループ「光GENJI」の指導とバックダンサーも。

 「45年ぐらい前にクリスティ、今はニュークリスティーと言っている技ですけど、僕がやってね。今ではみんなまねしてやっている。やったもん勝ちでいろいろ挑戦した」。自らがつくった技はアイドルを通じて全国に伝わった。

 還暦を迎えて往年を振り返るも、日々鍛錬を怠らない。それも「70歳になったらアメリカ縦断を決めている」せいだ。そしてローラースケートブームが今、再来している。県内でもイベントが相次ぐ。「いつでも見て、やりたいなという感性を地元で育みたい。その環境を整えられたら」。自らの青春時代を振り返り若き才能に期待する。

 ローラースケートのギネスブック掲載など幾多の金字塔を打ち立てたレジェンドホルダーのニックネームはゾロだ。映画にもなった「快傑ゾロ」からきている。世界で通用するニックネームだ。ローラースケーターのユニホームに打たれた番号は136。レジェンドナンバーでもある。

 今もダンスや舞台、役者として、また演劇大道具製作者としても活躍する。10月末には学校巡回公演事業で名古屋に出向いた。多彩な表現手段を伝える作品「さーかす」上演に取り組んだ。子どもたちに大人気の公演だ。「これを沖縄でやりたいな。沖縄の子どもたちに見せてあげたい」。芸術表現の素晴らしさを次代へ伝えたいと願う。

 (斎藤学)

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 ふるげん・いさむ 1963年7月生まれ。宜野湾市嘉数出身。那覇工業高校を卒業後に上京。83年ギネスブックローラースケート長時間耐久レース344時間世界記録保持者。ワールドカップにも出場。SMAPのバックダンサーも務めた。昨年は切り絵作品「埋まっていく自然」で江戸川区長賞を受賞した