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時代に合った服地を追求 仲井間文子さんを悼む 山内光子(服飾デザイナー、マドンナ会長)


時代に合った服地を追求 仲井間文子さんを悼む 山内光子(服飾デザイナー、マドンナ会長) 琉球新報のインタビューに応じる仲井間文子さん=2014年9月、那覇市泉崎
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 仲井間文子先生の訃報を聞き、どうしてそんなに早く逝ってしまうのかという思いだ。
 日本デザイナークラブ(NDC)沖縄支部が1973年に発足し、当初から沖縄ファッション界を引っ張った。沖縄三越デザイナーとしての活躍をバックボーンに業界の地位向上や後進の育成に努めてきた。私たちのあこがれだった。

 戦後のファッション界は、着物より洋服に合う服地開発が求められるようになった。沖縄は琉球絣やびんがたなどの反物が売れた国内有数の染織産地だったが、仲井間先生も時代に合った服地を作ろうと力を注いだ。
 私は先生の後任として県の技術アドバイザーを務めたが、2000年の沖縄サミットで各国首脳が着たかりゆしウエアの生地は先生らに相談して仕上げた。ミス沖縄のコスチュームをデザインするなど戦後のファッション界への功績は数え切れない。だからこそ残念な思いでいっぱいだ。

 19日には通夜に参列したが、仲井間先生の安らかな表情を見て「ありがとうございます」と感謝の思いがあふれた。先生は県ファッションデザイナーの会会長などさまざまな団体の要職に就き、今につながるムーブメントを築き上げた。世界に通用するデザインを模索する私たちを、どうか天から見守っていてほしい。  

(服飾デザイナー、マドンナ会長、談)