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戦火の中どう生き抜いたのか 浦添八重子さんの体験(1) 母の戦争<読者と刻む沖縄戦>


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 大阪市にお住まいの小島幸夫さん(58)からお便りをいただきました。那覇市首里で生まれ、戦後は大阪で暮らし、9年前に他界した母の沖縄戦体験についてのお問い合わせです。母の名は浦添八重子さん(旧姓)です。

 沖縄戦の時、八重子さんは首里から本島北部に避難し、収容地区で暮らした後、首里に戻ったようです。

小島 幸夫さん

 《母が亡くなってから無性に母がどうやって戦火の中を生き抜いたのか知りたくなりました。なぜ、生きているうちにもっと聞いておかなかったのだろうと後悔しています。母がどういう経緯で首里に戻ってこられたのかが知りたいのですが、当時の話を聞ける親族も分かりません。》

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 浦添八重子さんは1938年10月、那覇市首里金城町で生まれました。父は朝輔さん、母は信子さん。2歳下の妹・勝子さんがいました。「金城町の石畳」の近くにあった自宅には祖父母も含め6人で暮らしていました。自宅は奇跡的に戦災を免れ、戦後も残っていました。

 《母から見て祖父、祖母、両親、妹の6人家族で、家は首里城の近くです。私も幼少の時に訪れたことがあり、弾痕が家の柱にいっぱい残っていました。今、この歳になって思うと、激戦の首里で、よく破壊や火災に遭わずに残っていたものだと思います。》

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 戦時中の浦添八重子さんに関する情報をお寄せください。那覇市泉崎1の10の3、琉球新報編集局「読者と刻む沖縄戦」係。電話098(865)5124、FAX098(865)5222です。