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島の宝、イージマグチの継承を 県女性連合会長賞 阿波根一子(伊江村婦人会)<第55回女性の主張中央大会>3


島の宝、イージマグチの継承を 県女性連合会長賞 阿波根一子(伊江村婦人会)<第55回女性の主張中央大会>3
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 「♪わった めぇぬ しんだんぎ あしじゃ くでぃ ぬぶてぃ うてぃてぃ ゆむ すぃぶる わらば ちゃしゅが(家の前のセンダンの木に履物を履いて上ると、落ちて頭をけがしたらどうするの)」(島の『子守歌』)

 3月まで小学校で勤めていた私は全校合唱で伊江島の歌を指揮する機会が何度かありました。子どもたちの素直で力強い歌声に毎回感動したものですが、それは保育所や幼稚園で歌や民話を通して培われたものです。それが合唱・エイサー・民俗芸能につながり、小中学校・青年会へ、さらに島全体へと受け継がれる島ぐるみのたゆみない営みとなっています。

 私は、両親が伊江島出身で名護育ちです。幼い頃から島になじんではいたものの、島口はほとんど知りませんでした。ところが、高校時代に島出身同期生の発音・言葉がきれいなことに気付き、そのわけは26年前、転勤で島に来た時に分かりました。島には「ウェンチュ(ネズミ)」「シュプツィーニャ(イソヒヨドリ)」など、英語のような美しい発音が数多くあります。また、夫と話したり島人同士の会話を聞いたりしているとよく動物の鳴き声が入ることに気付きました。「チュン」とスズメが鳴いたかと思うと、それは「来る、行く」の意味で、「メー」と言うのでヤギがいるのかと思って見てみると、メーは猫でした。イージマ口は「日本で一番音の種類が多い」と言われます。「島出身同期生や島人の発音・言葉の美しさはイージマ口のおかげだったのか」と感動しました。

 島口を知らない私ですが、母から時々、イージマ口で昔からの教えを聞いて育ちました。「十ヌ ッウイービヤ ムル インタキヤ アランド(十本の指は皆、同じ長さではない。人それぞれに、良さがある)」「ズィンブンヌ イジラ チューヤ チャー スィブル サギリ(知恵がつくほど、人には謙虚でいなさい)」などです。

 母は、祖母から折に触れ、教えられたとのことです。「オバーは島のことわざをよく知っていて、ムヌナラシ(教え)していたよ」。イージマ口のことわざが曽祖母から母へ、母から私へと受け継がれていることにロマンを感じます。

 2017年に区の民俗芸能発表会があり、婦人会で「アヤメ歌」に参加しました。「アヤメ歌」は昔、首里のあやめー(お母さんたち)が歌っていた歌が伊江島に伝わり、イージマ口のアヤメ歌になったといわれる古謡です。旅に出る子どもや男性たちの無事を祈って女性たちに歌われました。楽譜はなく鼓に合わせて歌うので難しく、戦争時にはこの歌で送り出したつらい思いからも歌われなくなりましたが、40年ほど前に「復活させよう」と婦人会が老人クラブから習い始め、その強い思いが根を張り、現在に至ります。

 17人のメンバーは区の知念シゲさんを筆頭とする先輩オバー方から教えていただきました。なかなか覚えることができない私たちに、先輩方は情熱を持って根気強く教えてくださいました。「イヂチャビラ アンマー イヂャイクーヨ ナシグヮ サー アンマヤ フマ ウト―ティ ウニゲシュクトゥ(行ってきますお母さん。行ってらっしゃいわが子よ。母はここで祈っています)」

 初めは一人一人が無理だと思ったことが、みんなの力で乗り越えることができ、心地よい達成感に浸りました。

 島には『沖縄 伊江島方言辞典』『イージマグチかるた』など数多くの出版物があります。著者・生塩睦子氏が1964年から研究を始め、「消えゆく方言を、多くの方々の教え・協力・支えで発行に至った」ことが後書きに記されています。広島県在住の先生と多くの伊江村民の60年近くに及ぶご苦労と協力の結晶ともいえる島の宝・島の財産です。

 今年も「伊江島の民話」「伊江島のことわざ」編集のため、生塩先生が来島されました。この原稿を生塩先生に見ていただくと「伊江島のことわざ」の中に似たものがあると紹介されたことわざが「No.372ニー ッヤーバ、クディ ゥウリリ(穀物の穂は実が熟すにつれて穂先が曲がる。同様に人も中身が充実するほど、頭を下げて謙虚にならなければならない)」。これは読み方は違うものの那覇にもあり、全国にも「実る稲穂は頭(こうべ)垂る」もあることが記されていました。一つのことわざで曽祖母・イージマ口・那覇・全国とつながった不思議な瞬間でした。

 5月28日の新聞に、島の民話「ちからたんなーぱ」を「ポップな絵、豊かな色彩」で絵本にした司書の名嘉原美寿乃さんが載っており、子どもたちは興味津々に見入っていたとのことです。元同僚の快挙を喜ぶと共に、島口を受け継ぎ広める工夫が若者にも脈々と受け継がれていることを大変頼もしく思いました。

 時代が進むにつれて消えゆく島口ですが、豊かなイージマ口の言語環境の中で育った子どもたちは、きっとたくましく、しなやかに心優しく育っていくものと信じています。私もこれを機会に「島の宝・イージマ口の継承者の一人になりたい」と思います。