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教科書にない沖縄戦…「自分ごとに」 県外で遺品展示、福岡の男性が活動に幕 きっかけは遺骨収集への参加


教科書にない沖縄戦…「自分ごとに」 県外で遺品展示、福岡の男性が活動に幕 きっかけは遺骨収集への参加 沖縄戦犠牲者の遺骨や遺品の展示会を県外で続けてきた軸屋良太さん=11日、福岡県
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 福岡県に住む軸屋良太さん(38)=会社役員=は、今も戦争の爪痕が残る沖縄の実情を知ってほしいと、2015年から沖縄戦犠牲者の遺骨や遺品の展示会を県外で開いてきた。遺骨などは収集活動を60余年続けてきた国吉勇さん(84)=那覇市=が保管してきたものだ。

 今回、これまで展示してきた遺骨や遺品などを南風原文化センターに寄贈することが決まり、福岡県で開催中の展示を最後に活動に区切りをつける。軸屋さんは「県外では教科書に数行しか出てこない沖縄戦の悲惨さやいまだ骨が出てくる現状を、少しでも知ってもらうきっかけとなったならうれしい」と語る。

 国吉さんは6歳で経験した沖縄戦で母や兄弟などを失った。高校生の時に友人らと遺骨収集を始め、真和志村(現那覇市)で別れた祖母の骨も探し出した。土の中に眠る沖縄戦の犠牲者たちを「太陽の下に出してあげなければいけない」が口癖だったという。

 16年に体力の衰えを理由に引退するまで、拾い上げた遺骨は約3800体、遺留品は10万点余に上る。自宅の一角を「戦争資料館」として大量に保管していた。

 軸屋さんは、13年に知人に誘われて参加した、糸満市の白梅之塔の地下壕での遺骨収集ボランティア活動で国吉さんと出会った。当初は、犠牲者の遺骨が当たり前にそこかしらからに眠っていることに戸惑いもあった。「これは県外でも発信しなければいけないと思った」。

 国吉さんの活動を支えようと、「遺骨収集 国吉勇応援会」を立ち上げ、15年に福岡県で初の展示会を実施。これまで、全国で約20回開催してきた。

 来場者の中には、兄弟が沖縄戦で亡くなり、遺骨も見つかっていないという遺族もいた。ずらっとならぶ遺品を前に「見に来たことで、少しは自分の中で供養することができた」と喜ぶ姿もあったという。

 「やってきた良かったと感じることが多かった」と軸屋さんは振り返る。遺骨や遺品展示の活動は幕を閉じるが、これから県外の小学校などで平和学習の出前事業などを予定している。「国吉さんからも背中を押されている。県外の人が沖縄戦を『自分ごと』と捉えられるようにできたら」と前を見据える。(新垣若菜)