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「惜しい方を亡くした」上原はつ子さん死去で元学徒ら 「全学徒隊の碑」建立、沖縄戦の継承に尽力


「惜しい方を亡くした」上原はつ子さん死去で元学徒ら 「全学徒隊の碑」建立、沖縄戦の継承に尽力 平和の礎に刻まれた義理の弟たちの名前をなぞる上原はつ子さん=2019年5月23日、糸満市摩文仁
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 沖縄戦を体験した私立昭和高等女学校の元生徒で、糸満市摩文仁の「全学徒隊の碑」建立に向けた活動に取り組むなど、戦争体験の継承に尽力した上原はつ子(うえはら・はつこ、本名=ハツ子)さんが25日午前6時2分、心不全や脳梗塞のため那覇市内の福祉施設で死去した。94歳。
 那覇市泊出身。自宅は那覇市天久。葬儀・告別式は29日午後1時15分から2時半、那覇市曙1の20の39、那覇葬祭会館本館で。通夜は28日、那覇市曙1の20の35、那覇葬祭会館第2会館で予定している。喪主は長男謙(けん)さん。

 上原さんは沖縄戦で動員され、犠牲になった県内21校の学徒隊の合同碑を建立する必要性について2013年以降、県や県議会などへ陳情や要請を繰り返した。元学徒の会が作成した冊子「学園から戦場へ」に上原さんは県幹部へ何度も面会し丁々発止で必要性を訴えたことが記されている。
 上原さんたちは、県へ粘り強く要請し、他の学校の元学徒へも協力を呼びかけた。継続的な活動の結果、17年3月に「全学徒隊の碑」が建立され、18年4月には「元全学徒の会」が結成された。戦没者数などを刻銘することにもつながった。
 「元全学徒の会」幹事で上原さんとともに全学徒隊の碑建立に奔走した宮城政三郎さん(95)は「非常に残念で、惜しい方を亡くした」と声を落とした。「強い意思を持つ方で、彼女がいたからこそ全学徒隊の碑はできた」とたたえた。


 人柄について「全学徒隊の碑建立に向けて県庁に要請に行った時は職員に『あなたたちの親が生き抜いたから今のあなたたちがいる。しっかりしなさい』と叱り飛ばすほどだった。怒りの源流は沖縄戦を継承しなければならないという思いだった」と振り返った。 

(古堅一樹、吉田健一)