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台湾大から返還の琉球人遺骨、施設内で保管へ 今帰仁村由来の21体 市民団体は「百按司墓」に戻すこと求める


台湾大から返還の琉球人遺骨、施設内で保管へ 今帰仁村由来の21体 市民団体は「百按司墓」に戻すこと求める 百按司墓(2016年撮影)
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 【今帰仁】戦前に研究目的で今帰仁村の風葬墓「百按司(むむじゃな)墓」などから持ち出され、台湾大から返還された遺骨のうち、今帰仁村由来とされる遺骨21体について、今帰仁村教育委員会は17日までに、同村歴史文化センター内で保管することを決めた。「永続的に保存する」との台湾大、県教委、村教委の3者の協議書に従う。一方、遺骨の返還を求めてきた市民団体は同日、遺骨を墓に戻すことを求める考えを示した。

 今帰仁村教委の担当者によると、遺骨63体を保管していた台湾大と返還先の県教委、村教委の3者が2018年に結んだ協議書に「人骨は埋葬処理されることなく、人類の重要な文化的遺産として永続的に保存される」との要件がある。

 村教委は、今帰仁城跡近くにあり博物館の機能を持つ村歴史文化センター収蔵庫に保管場所を確保し、10月24日に県教委から21体の遺骨を受け入れた。緩衝材が入った21個の箱に整然と保存されている。研究の予定はなく、保管期限は定めていない。今帰仁村歴史文化センターの玉城靖館長は「村教委として適切に管理していく」と述べた。

 一方、琉球人遺骨の返還を求めてきた団体「ニライ・カナイぬ会」の仲村涼子共同代表は「子孫の意見を聞く機会もなく、当事者抜きにすべてを決めることは人権侵害だ」と述べ、近く村教委と面談し、墓に戻すよう求めるという。 (増田健太)


残る42体、採集地不明 台帳だけで断定できず


箱に印鑑と封がなされ、保管される人骨=17日、今帰仁村歴史文化センター(村教委提供)

 台湾大から県に移管された遺骨63体のうち21体が今帰仁村教育委員会に移管され、県が県立埋蔵文化財センターで保管する遺骨は残り42体となった。県教委によると、42体の採集地は台帳だけでは断定できず不明となっている。

 今回、今帰仁村由来とされた遺骨21体には「運天」と記載されていた。今帰仁村の地名「運天」とみられる。文字などは「移管台帳」内の「頭蓋骨標示」欄に書き写されており、採集場所の情報などとされている。

 残る42体は「與那國島」や「琉球熊本」「琉球行路」「那●伊本屋」などと記載されている。しかし戦前に「百按司(むむじゃな)墓」などから遺骨を持ち出した旧京都帝国大(京都大)の人類学者・故金関丈夫氏の著書に与那国町に行った記録はないことなどから、台帳だけでは採集地は分からず、県教委は「記録類の確認をしていく」としている。 

(高橋真帆)

(※●は「覇」の冠が「雨」)