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国民として人権主張 「先住民族」「独立」触れず 翁長氏の国連発言 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>11


国民として人権主張 「先住民族」「独立」触れず 翁長氏の国連発言 阿部藹<託されたバトン 再考・沖縄の自己決定権>11 2015年、国連の人権理事会で沖縄の状況を「人権がないがしろにされている」と訴える翁長雄志知事=2015年9月21日午後5時すぎ、スイスの国連人権理事会総会
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 先日、ジェンダー平等や平和な社会のために活動するアイ女性会議・沖縄県本部が主催する女性・政治スクールの集まりに招かれ、国際人権法と沖縄について講演する機会があった。沖縄の人々が直面している諸問題について国際人権法の観点から見ることの利点などとともに、2015年の翁長雄志知事(当時)の国連での口頭声明について話す中で「自己決定権」のことにも少し触れた。

 質疑応答の際に多くの質問を受けたのだが、そのうちの一つが「沖縄の人が先住民族というと少し違和感があるのだが、改めて先住民族の定義とは何か?」という問いだった。そこで「先住民族という言葉を聞くと、経済的発展をしていない地域で昔と変わらない狩猟生活を送っているような民族集団を思い浮かべるのではないか?」と会場に投げかけたところ、うなずく人が多かった。

 そこで、前回この紙面でも紹介したように、国際人権法上の先住民族は社会的、経済的発展の度合いで定義されるものではなく、むしろ近代国家が成立する過程で元々住んでいた場所や生活様式、言語などを奪われた人のことを指し、明治になって日本という国を作る際に元々琉球国だったこの場所が明治政府によって日本に併合され、言語や土地、統治機構、文化などが奪われたという経緯を踏まえれば、琉球・沖縄の人々は国際人権法上の先住民族という定義に当てはまると考えられるということをお伝えした。一般的に使われている「先住民族」と国際人権法における「indigenous peoples(先住民族)」の意味合いが異なることは理解してもらえたように感じた。

 実はこれまでにも、例えば大学で自己決定権に関する講義をする中で、県内出身の学生であっても「沖縄の人々が先住民族だとは言えないと思う」という意見を持つ人のほうが多いのではないかという感覚を持っていた。国際人権法上の「先住民族」という言葉の理解がまだ浸透していないこと、そして歴史に照らし合わせた人権教育が不足していることが原因で、沖縄の人々を先住民族と認識することに違和感が生じてしまうのではないかと思う。

 これまでこの連載では、琉球処分や沖縄返還の過程から考えれば琉球・沖縄は植民地に類似する扱いを受けており、人々は「非自治地域」の住民として独立を含む自己決定権を有していたと考えられることと、一方で現在においても先住民族として高度な自治を求める自己決定権を主張することが可能だと述べてきた。

 しかし繰り返し述べてきたように琉球・沖縄の人々が先住民族としてより強く自己決定権を主張していくためには、先住民族としての自己認識が広く共有されることが重要なカギになってくる。その意味では、先住民族と認識することに違和感を持つ人が多いということは、真摯(しんし)に受け止められるべき現状と言えるだろう。

 しかしそれは、「自己認識が共有されていないから権利主張ができない」という結論につながるわけではない。国際人権法上の「先住民族」という言葉の意味について理解を広げ議論を続けていく努力とともに、その結論を待たずとも沖縄の人々が違和感なく自己認識を持つことができ、国際人権法に基づき権利を主張することができる「集団」が他にも考えられないか、という可能性を広げる問いにつながるべきだと考える。

 その問いを考えるにあたり、重要な示唆を含んでいるのが15年の翁長知事の国連人権理事会での口頭声明やサイドイベントでの講演の内容だ。知事は口頭声明の中で日本政府に対し、沖縄の人々の民意や人権が蔑(ないがし)ろにされているとして「自国民の自由、平等、人権、民主主義、そういったものを守れない国が、どうして世界の国々とその価値観を共有できるのでしょうか」と問いを突きつけている。また講演においては600年前の琉球王国の誕生から沖縄の歴史を振り返り、「時代の変化の中で自己決定権というものを、ある意味蹂躙(じゅうりん)されてきた」と語った。

 翁長氏が史上初めて沖縄県知事として国連の場で沖縄の自己決定権に触れたために、この時の発言は「沖縄県民が先住民族だというメッセージを伝えた」とか「沖縄の独立を主張した」などの批判にさらされることが多かったが、詳細を見れば翁長氏は先住民族という言葉を一度も使っておらず、独立にも触れていない。むしろ「日本国の沖縄県知事」という立場を明確にし、日本政府に対し、日本国民たる沖縄の人々の民主主義や人権、そして自己決定権を保障するように求めている。

 これらの事実を踏まえれば、翁長氏が語った自己決定権は、(独立の権利を含む)植民地や非自治地域の人民としての自己決定権にも、先住民族としての自己決定権にも当てはまらない「自己決定権」を想定していたのではないかと考えざるをえない。

 帰国後に前述したような批判を受けたためにその後翁長氏は「自己決定権」について言及することがなくなり、病に斃(たお)れてしまったため、その真意は確かめることができなくなってしまった。しかし、翁長氏の主張を国際人権法の観点に照らし合わせて分析をしたところ、近年、より公正な民主主義を重視する立場から発展しつつある「人民(people)」としての自己決定権の議論に多くの共通点があると筆者は考えるようになった。次回は琉球・沖縄の人々について、この「人民」としての自己決定権の可能性について議論する。

 (琉球大学客員研究員)
 (第4金曜掲載)