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傷跡深く 続く困難 うなり上げ 迫る濁流 津波の恐怖、住民振り返る


傷跡深く 続く困難 うなり上げ 迫る濁流 津波の恐怖、住民振り返る 能登半島での津波の目撃
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 最大震度7の地震を観測した石川県・能登半島では、津波が沿岸部の住民や家屋を襲った。「潮が引き、海底が見えた」。海はゴーとうなりを上げ、水面が黒く盛り上がる。2011年東日本大震災以来となる大津波警報も。激震、海の異変に危険を感じ、過去の津波を想起して高台へ急いだ。住民が当時の様子を振り返った。
 能登半島のほぼ中央部に位置し、震度7を記録した志賀町(しかまち)。1日夕、会社員高岡守さん(51)は、自宅近くの福浦港の潮が引き、海底があらわになる様子を目撃。東日本大震災が頭をよぎり、津波の襲来を直感した。
 「津波だ、逃げろ」。近所の人に叫びながら車で高台へ逃げると、波がガードレールと道路を乗り越え、海抜3メートルほどに立つ住宅に迫った。
 小学生だった1983年、秋田県などで100人超が犠牲になった日本海中部地震の津波を、福浦港で見ていた。当時も潮が引いたのを覚えているが、これほどの波は初めて。「生きた心地がしなかった」
 半島の反対側でも住民が津波を見ていた。珠洲(すず)市の鵜飼漁港近くの実家に帰省していた金沢市の大工寺山武さん(52)は、四つんばいになっても転ぶほどの強い揺れの直後、河口付近の潮が引くのに気付いた。警報を受け、サンダル履きのまま家を飛び出した川口昇さん(67)は避難所の屋上で、海面が盛り上がる様に衝撃を受けた。
 白い波が東から次々に押し寄せ、堤防に当たって濁流と化した海水が町に流れ込むのを見たのは、珠洲市飯田地区の男性(55)。避難の途中で車を乗り捨て、高台の小学校に向かった。
 飯田港(同市)は複数の船が陸に乗り上げ、海上でも10隻以上が転覆した。岸壁のコンクリートははがれ、流された車や電柱が住宅に突き刺さった。もともとそこに立っていたかのように、砂浜に流れ着いた家も。一変した町の姿に、住民は「珠洲市自体がなくなってしまうのではないか」と悲痛な表情を浮かべた。