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「あまわり以外は全て演じた」芸能一筋、宮城能鳳さん 継承危機の女形で後進育成 沖縄出身初の芸術院会員


「あまわり以外は全て演じた」芸能一筋、宮城能鳳さん 継承危機の女形で後進育成 沖縄出身初の芸術院会員 伝統組踊保存会の公演で「執心鐘入」を演じる宮城能鳳さん(左)=2015年1月、浦添市の国立劇場おきなわ
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 芸能一筋に歩み、組踊をはじめとする沖縄の伝統芸能の価値を高めてきた長年の功労がたたえられた。「組踊立方」人間国宝の宮城能鳳さん(85)=与那原町=が日本芸術院会員に県内出身者で初めて選出された。能鳳さんは「困難をはね返して沖縄の伝統芸能を残してくれた先師・先達のおかげ」と感謝の言葉を何度も口にした。

 1961年に初代宮城能造氏に師事。厳しい稽古に励んだ。「仕事からの帰り道も唱えやこねり手などの練習をしていました」。琉舞や組踊に魅了された能鳳さんは琉球政府の職を辞し、芸能の道に専念した。

 能鳳さんと言えば女形の印象が強いが、男役も多く演じた。日本復帰と同時に組踊が国の重要無形文化財に指定されてからは、能造氏や眞境名由康氏に勧められ女形へ。結果として「あまわり以外は全て演じた」と言うほど、幅広い役柄を演じた。「女形では女になろうと意識しないようにする。どの役も組踊の所作は舞踊が基本。舞踊を極めて自然に演じることが大事」と極意を示した。

 その経験は指導者としても生きた。県立芸大で学生を指導し、今でも国立劇場おきなわの組踊伝承者養成研修の立方指導者として後進の指導に当たる。教え子たちは今や沖縄の伝統芸能を担う中心的な存在に。戦後、男性舞踊家の減少で継承の危機にあった女形を、後継の育成で支えている。「なぜ自分が会員に選ばれたのかと疑問だったが、一つ挙げるなら後進の指導かもしれない。若い人がついてきてくれたことが大きい」と感慨深げに語った。

 沖縄初の日本芸術院会員となることに「組踊が能や文楽、歌舞伎と同じ地位にあると認められたということ」とその意義をかみしめる。「役目を果たしたい」。笑顔で抱負を語った。

 (田吹遥子)