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部屋ゆがみ身動き取れず 高齢者、避難所で不安 台湾地震


部屋ゆがみ身動き取れず 高齢者、避難所で不安 台湾地震 避難所で医療関係者と言葉を交わす陳生英さん(手前右) =4日、台湾東部・花蓮
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 【花蓮共同=渡辺靖仁、柴田智也】自分は助かったけど―。台湾東部沖地震で花蓮市内の小学校に設置された避難所。自宅が損壊し住む場所がなくなった被災者らが身を寄せる。生後2カ月の赤ちゃんに100歳近いお年寄りも。被災者らは4日、避難時の緊迫した様子と将来への不安を語った。 (1面に関連)
 「部屋がゆがみ、身動きが取れなくなった」。帥蔚生(すいいせい)さん(80)が振り返る。地震で傾いた地上9階建てのマンションの6階に1人で暮らしていた。地震直後、電話で大家に助けを求めたがドアを開けられず110番。窓を割って入ってきた警察官に救出された経緯をはっきりとした口調で話した。だが同じ建物に住む女性が亡くなったことに触れると、声を落とした。
 「何度も地震を経験したけど、こんなに大きいのは初めて」。流ちょうな日本語で語るのは地上10階建ての別のマンションに住んでいた陳生英(ちんせいえい)さん(96)。日本統治時代の小学校で教育を受けた。6階からフィリピン人の家政婦と着の身着のままで逃げた。「家はぐちゃぐちゃ」。娘の汪梅芬(おうばいふん)さん(70)が面倒を見てくれるが、生活がどう変わるのか不安は隠せない。
 陳さん親子のマンション前にはヘルメット姿の住民たちが集まっていた。外壁のタイルが剝がれ、破片が道路に散乱。部屋に残した貴重品などを取りに行くため1人10分間だけ戻ることが許可された。
 陳さんの家政婦はがれきが散乱する階段を上り、部屋から身の回り品を持ち出した。陳さんが長年付けてきた日記も。「これはお母さんの宝物」。汪さんがほっとした表情を見せた。
 9階に住む建築士、張文亭(ちょうぶんてい)さん(45)は「(地震発生当時)立っていられず、ベッドで布団にくるまり続けた」という。余震が続く中、1時間半後に軍人の誘導でようやく屋外に出られた。張さんは銀行のカードや薬、パソコンを部屋から持ち出した。「建築の仕事は多くなる。週明けには出勤する」と復興に目を向けた。
 だが住民らの避難生活は長引く可能性がある。花蓮の大学で教えるインドネシア国籍の男性は、妻と生後2カ月の長女と共に避難した。「小さい子どもがいる。何か起きたら大変」。マンションの管理人からは安全が確認できるまで避難を続けるよう勧められた。再び自宅に住めるかどうかも分からないという。