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「大きな支え失った」 初代の宮古島市長・伊志嶺亮さん死去 医療、文化で貢献


「大きな支え失った」 初代の宮古島市長・伊志嶺亮さん死去 医療、文化で貢献 初代宮古島市長に当選し、支援者と喜ぶ伊志嶺亮さん=2005年
この記事を書いた人 Avatar photo 友寄 開

 元宮古島市長の伊志嶺亮さんが7日午前に亡くなった。政治家としてだけではなく、医師、文化人、国際人として宮古島市を支えてきた伊志嶺さんの突然の訃報に8日、関係者から「信じられない」「大きな支えを失った」と別れを惜しむ声が上がった。

 伊志嶺さんと40年以上の付き合いがある池田俊男さん(67)は「もっともっと助言をいただき、いろんな話ができると思っていた。信じられない」と言葉を詰まらせた。全国はがき筆文字展をともに開催した。2000年の九州・沖縄サミットでは、俳句サミットを開催し、日本とドイツの国際交流を図った。「温厚な伊志嶺さんから人の悪口を聞いたことがない。後にも先にもあんな人はいない」と語った。

 平良市議として、伊志嶺平良市政を支えた元県議の奥平一夫さん(74)は数カ月前に自宅に招かれ、食事をごちそうになったことに触れ「人とのつながりを大切にしようとする姿に感動した。一緒に食事できて幸せだった。亡くなられたことは残念で仕方ないが『お疲れ様でした』と伝えたい」と語った。

 ハンセン病と人権市民ネットワーク宮古の亀濱玲子共同代表(70)は、伊志嶺さんが市内で伊志嶺医院を開業したことに触れ「(ハンセン病の)退所者が診察に行くと、自宅に招き昼食をよくごちそうしたと聞いた。長年にわたって退所者と模合もしており、私たちの活動も支えてくれた。喪失感が大きい」と残念がった。 

(友寄開)