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住民投票訴え、悔しさ力に 島の未来、考える機会を 石垣陸自配備<不条理に抗う>8


住民投票訴え、悔しさ力に 島の未来、考える機会を 石垣陸自配備<不条理に抗う>8 マンゴーハウスで作業する金城龍太郎さん=2日、石垣市
この記事を書いた人 Avatar photo 照屋 大哲

 2018年7月18日、石垣市役所。この日の定例記者懇談会を終えた後、中山義隆市長が急きょ会見を設定した。「国の専権事項なので受け入れないという判断はない」。市平得大俣への陸上自衛隊配備計画について、受け入れを正式表明した。市長の“お墨付き”を得て、国は配備に向けた動きを着々と進めた。

 3カ月後の10月13日、市内の20代の若者たちが立ち上がった。市平得大俣への陸自配備計画の賛否を問う住民投票の実施を目指し「石垣市住民投票を求める会」を発足した。代表に就いたのが、配備地に近い嵩田地区のマンゴー農家で、当時28歳の金城龍太郎さん(33)だ。市健康福祉センターで開いた結成総会に約150人が集結し、金城さんらを後押しした。

 受け入れ表明の会見で市長は市民の意見集約について「賛成・反対双方で意見は出尽くした」と述べた。だが、金城さんは、情報が共有されておらず議論の機会も不十分と感じていた。陸自配備は島のあり方を左右する。「島全体で考えるきっかけになれば」と仲間と署名集めに奔走し、1カ月で有権者の4割近くの1万4263筆(有効署名総数)が集まった。

 しかし、19年、市議会は住民投票条例案を否決した。当時、傍聴席でその瞬間を見た金城さんは「ショック過ぎて…」と大泣きした。採決前に会食した与党議員から「(可決は)絶対大丈夫」と言われていた。

 「裏切られた」との思いを抱いた半面、金城さんはそれでも「多くの人が示した勇気に応える責任がある」と前に進み、市に住民投票実施を命じるよう求める義務付け訴訟を起こした。だが、司法も認めることはなかった。「住民から考える機会を奪ったことは、不条理だと感じる」

 住民投票が阻まれ続ける現実にうつむきそうになるが、金城さんは前を向き続ける。「(為政者が)住民から考える機会を奪おうとしている。僕はそれにあらがいたい」

 1972年、沖縄が米統治下から日本に復帰し、自衛隊が沖縄に配備された。近年、国は「南西シフト」を掲げ、2016年に与那国町、19年には宮古島市に陸自駐屯地を開設した。部隊の「空白地域」を埋める最後のピースとして、23年3月16日、陸自石垣駐屯地を開設した。

 金城さんは会のメンバーとともに、住民投票ができる地位にあることなどを確認する当事者訴訟も起こした。自身が直面した「不条理」の悔しさも力に変える。悲観はしていない。3人の子の父として次世代のため願う。「何か問題があった時に、政治家だけでなく、一人一人が考える島であってほしい」

 (照屋大哲)