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97歳の母のために…「叔母たちの生きた証しを残せた」 終戦直後に死亡、「礎」に追加刻銘 沖縄


97歳の母のために…「叔母たちの生きた証しを残せた」 終戦直後に死亡、「礎」に追加刻銘 沖縄 平和の礎に追加刻銘された叔母ら4人の名前を示す宜野座富夫さん=23日、午前10時55分、糸満市摩文仁の平和祈念公園
この記事を書いた人 Avatar photo 宮沢 之祐

 平和の礎(いしじ)に今年、叔母ら4人が追加刻銘された浦添市の宜野座富夫さん(69)は23日、糸満市摩文仁の平和祈念公園を訪れた。4人はフィリピン・ミンダナオ島で亡くなった。「97歳の母が元気なうちに、(母の)きょうだいが生きていた証しを残せてよかった」と、ほっとした表情だった。

 宜野座さんの祖父母が、金武町から移民としてミンダナオ島のダバオへ渡った。戦争に巻き込まれ山中に避難した1945年6月、2歳だった叔父、幸三さんは栄養失調で亡くなったという。

 祖母や叔母らは戦争を生き延び、45年10月、日本に引き揚げることに。沖合に停泊する船まで米軍の水陸両用艇で向かったが、途中で沈没。「桜が見られる」と、はしゃいでいた叔母の恭子さん、安子さん、百合子さんが亡くなった。5~12歳だった。当時、飲酒した米兵がハッチを閉め忘れたのが原因と言われたという。

 「無念だったろうな」と宜野座さん。戦争による直接死ではないので刻銘が認められるか心配したが県に申請したところ認められた。施設で暮らす母は「とっても喜んだ」。母のため4人の名前が並ぶ写真を撮った。

 ダバオには戦前、約1万人の日本人が住み、そのうち7割が沖縄出身者だったとされる。「フィリピン移民の父」と呼ばれる大城孝蔵は金武出身。この日は仲間一町長も訪れ、「金武とフィリピンはゆかりが深く、追加刻銘が気になった」と4人の名前に見入った。

(宮沢之祐)