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同じ苦しみ 誰にも 子宮と共に人生奪われ 旧優生保護法 原告女性 首相に「国変えて」


同じ苦しみ 誰にも 子宮と共に人生奪われ 旧優生保護法 原告女性 首相に「国変えて」 岸田首相との面会で、思いを口にする原告の鈴木由美さん=17日午後、首相官邸
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 戦後最悪の人権侵害の被害者に、政府トップが初めて直接謝罪した。旧優生保護法を違憲とした最高裁判決を受け、岸田文雄首相は17日、原告らと面会。伝えられたのは、遅過ぎる謝罪への怒りや差別が繰り返されないことへの願い―。旧法施行から、およそ76年。首相は幅広い補償の意向を表明したが、約2万5千人とされる全被害者救済に一刻の猶予もない。 (1面に関連)
 奪われた子宮を、人生を返してほしい―。かなわない願いを抱き、最高裁まで闘い続けた。「今からが、障害者に対しての差別がなくなる第一歩。こんな思いを後の障害者にはさせたくない」。国のトップが目の前で謝罪した17日、原告の鈴木由美さん(68)=神戸市=は声を振り絞って思いを口にした。
 「私の知らない間に不妊手術をされて、その後寝たきりになりました」。車いすで臨んだ官邸の大ホール。岸田文雄首相を前に感情を抑え切れず、思わず言葉に詰まった。「今も苦しんでいる人が、いっぱいいる。本当に国を変えてほしい」
 先天性の脳性まひで手足に障害がある。「足が良くなるための手術かな」。子どもの頃、何をするのか聞かされないまま、旧法下でも違法な子宮摘出手術を受けさせられた。「大きなライトが光って、怖くて『わーん』と泣いた」。数日後、おなかに傷を見つけ「何でだろう」と不思議に思ったことを覚えている。
 手術の説明は一切なかったが、徐々に子どもを産めなくなったのだと悟った。「好きな人との間に子どもができるといいな、お母さんになりたいなと思っていた」。描いていた夢は断たれた。
 フラッシュバックやけいれんに苦しみ「青春時代もなかった。たくさんの時間が私から失われた」。不妊のことを伝え結婚した夫とは離婚。別れ際に「子どもがいれば違ったかも」と言われた。
 2018年に始まった国家賠償請求訴訟が転機となった。19年に神戸地裁に提訴。同じ境遇の人が声を上げやすくなるようにと、名前や顔を隠さず取材にも応じる。
 願い続けた「子どもがいる人生」は、誰に謝罪されても、もう手に入らない。ただ首相と面会し「(裁判に)勝って、やっとここまで来たんだなと思い、ちょっとうるっときた」と振り返る。
 この日、首相には「(障害者を)分けずに、共に学ぶ場をつくって」と求めた。「障害がある人もない人も、みんな同じように暮らせる社会に」。抱いてきたもう一つの願いが、かなう日が来ると、信じている。