「兄が生きていたことを証明できた」。対馬丸に乗船し、命を落とした又吉嘉男さん=当時12歳=の弟嘉政さん(77)は20日、嘉男さんの遺影が対馬丸記念館に飾られたことに「長年の夢がやっと実現した」と、喜びを語った。
嘉男さんは8人きょうだいの長男として那覇市泊に生まれた。幼少期のころ、現在は無人島となっている座間味村屋嘉比島に移り住んだ。屋嘉比島は戦前、銅を産出する鉱山で発展し、父の嘉惇(かじゅん)さんは県職員として鉱業所の事務所で経理担当をしていた。
数年後、那覇に戻った嘉男さんは泊国民学校に転入、対馬丸には一人で乗船した。嘉政さんは嘉男さんが乗船した経緯について「長男ということで、跡継ぎを残すために疎開させることを決めたと聞いている」と語る。
対馬丸乗船前には泳ぎの練習もしていたという。「兄は一人で行くことを嫌がっていたが、父が無理やり引っ張っていた。父はそのことをずっと後悔していた」と振り返る。
家族で唯一、戦後生まれの嘉政さん。兄の嘉男さんがどのような性格だったかなど、分からないことも多いが、記念館を訪れるたびに兄の写真がないことを気に掛けていた。そんな中、今年に入って長女の秀子さん(93)の名護市内の自宅で屋嘉比島時代の嘉男さんの写真が見つかった。初めて見る兄の姿。嘉政さんはすぐに対馬丸記念館に連絡し、今回の遺影掲示につながった。「嘉男という兄が生きていたことをやっと証明できた。それがなによりもうれしい」
(吉田健一)