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亡き学友、家族に思いはせ 焼香終え「涙が出る」 元白梅学徒の武村豊さん(95)


亡き学友、家族に思いはせ 焼香終え「涙が出る」 元白梅学徒の武村豊さん(95) 戦争で亡くなった家族や学友を思い、焼香する武村豊さん=5日、那覇市若狭の旭ヶ丘公園
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 5日の那覇市戦没者追悼式には県立第二高等女学校(二高女)の同窓生で、沖縄戦に動員された元白梅学徒の武村豊さん(95)の姿もあった。沖縄戦で母親と姉を亡くし、凄惨(せいさん)な戦場で大勢の学友が命を落とすのも目の当たりにした。車いすから立ち上がり焼香した武村さんは焼香後、「涙が出る」と語った。
 1944年、二高女の生徒らは日本軍の陣地を造る作業にかり出されており、武村さんは10月10日の朝、友人を迎えに行った先で空襲に遭った。
最初は誰もが演習だと思い、攻撃を受けているとは信じなかったという。白い壁と2階建てのモダンな校舎も焼失した。
 空襲の後、母と姉は県外に疎開しようと言ったものの、武村さんは「国を守る」と残った。看護教育を受け、45年3月、八重瀬岳の第24師団第一野戦病院壕に配属された。手術の手伝いや死体埋葬など過酷な勤務を強いられた。同年6月4日の解散命令以降、激しい砲爆撃の中を逃げ惑った。母と姉は武村さんを探しに行き、消息を絶った。武村さんは遺骨を探し続けたが見つかっていない。
 元白梅学徒は高齢になり次々に他界している。「同級生が来ていなくて寂しい」と話しつつも、追悼式の会場で多くの参列者に呼び止められ、あいさつを交わしていた。 (中村万里子)