6月下旬、米兵を被告とする性犯罪事件が相次いで発覚した。捜査機関は起訴後も事件を公表せず、事件を把握していた政府は定められた通報ルートに従わず、基地政策を担う県にすら情報共有していなかったことが明らかになった。事態が表に出ない間に、県議選や日米首脳会談などの政治日程があったこともあり、政府や捜査機関による「隠蔽(いんぺい)」疑惑が持ち上がった。性犯罪事案であるがゆえの「被害者のプライバシー保護」が非公表の理由だった。
「事件が表に出ていたら、県などに何かができたのだろうか」。そのようなつぶやきを、捜査関係者らへの取材で何度か聞いた。いわれなき中傷や世間の好奇の目にさらされやすい性犯罪被害者を守り、落ち着いた環境での捜査で容疑者を摘発したい―。批判へのいらだちとともに、そんな思いがにじんでいた。
被害者のプライバシーを尊重しながらも、社会で共有できる情報もあったのではないか。少女への性的暴行事件の発覚直後に県警関係者に投げかけた。「君たち、どうせ調べて書くでしょ」。どのような事件だったのか把握するのに精いっぱいだった当時は、聞き流していた。
ただ一連の事件が県内外で大きく報道される中、被害者の特定につながりかねない情報が発信される状況に触れ、その言葉が頭を巡るようになった。私自身も、記事に盛り込んだ情報や表現に関して社内で注意を何度も受けた。
6月下旬に発覚した事件に限っても、公判は続く。後世に残す記録としても堪え得るよう「自己規制」の行き過ぎを避けながらも、公判などでの取材を通じて得た情報をどこまで書くかどうかは、ずっと突き付けられる。
沖縄は過重な基地負担にあえぎ、米軍関係者の凶悪犯罪が繰り返されてきた。犯罪を抑止するための大きな力は、保革や米軍基地の存在への受容度には縛られない、県民の「関心」であり、「怒り」だと思う。だからこそ、何か事案があれば明らかにするよう求め続けないといけないし、そのためにも、どう記事を書くかが一層問われているのだと感じている。
何をどう報じるべきか。今回の「隠蔽」疑惑が示した課題に、報道に携わる人間としても向き合っていきたい。 (大嶺雅俊)
第77回新聞週間が15日に始まる。記者は取材現場でさまざまな状況に直面している。報道の在り方を日々模索しながら発信する記者の思いを紹介する。