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県が初のハンセン病シンポ 「差別なく生きたい」 治癒した回復者や家族が思い、支援策探る 沖縄


県が初のハンセン病シンポ 「差別なく生きたい」 治癒した回復者や家族が思い、支援策探る 沖縄 登壇するパネリストの(左から)県保健医療介護部長の糸数公氏、ハンセン病回復者の神谷正和氏、回復者家族のO・M氏(O・M氏は希望によりプライバシーに配慮して撮影しています)=18日、那覇市泉崎の琉球新報ホール(ジャン松元撮影)
この記事を書いた人 Avatar photo 宮沢 之祐

 沖縄県の主催による「第1回県ハンセン病問題シンポジウム」(共催・琉球新報社)が18日、那覇市泉崎の琉球新報ホールで開かれた。必要のない強制隔離を国や県が続けた結果、ハンセン病への偏見や差別が今なお残る現状を受け、県が初めて主催。ハンセン病が治癒した回復者やその家族が思いを語り、回復者の高齢化に伴う支援の在り方についても議論した。

 患者に隔離を強いてきた「らい予防法」は1996年に廃止されたが、差別や偏見は根強い。シンポジウムは、効果のある啓発を目指し、当事者や県の担当者、専門家ら15人でつくる県ハンセン病問題解決推進協議会で内容を検討してきた。

 冒頭で玉城デニー知事が「過去の誤った政策が偏見や差別を助長してきた。シンポジウムを理解の促進の機会に」とあいさつした。

 パネル討論では、回復者や家族が地域で当たり前に暮らすための方策を探った。回復者の神谷正和さん(73)は、病歴を知られるのを恐れて「うら傷」と呼ばれる後遺症の治療をためらい、思い切って受診しても病状を理解してもらえなかったという。「医療や福祉に頼る年齢になったが、安心して暮らせない」とも語った。

 糸数公保健医療介護部長は医療機関に同行するコーディネーター配置などを説明。在宅のための支援などを構築する意向も示した。

 司会を務めた琉球新報の佐野真慈記者は「差別の解消は私たち一人一人の責任だ。何ができるかを学び、考え続けていくことが必要だ」と結んだ。

 (宮沢之祐)