prime

花たちに教えてもらう人生 赤嶺智子 一般の部 金賞<2024年度植木光教基金・琉球みどりの文化賞>6


花たちに教えてもらう人生 赤嶺智子 一般の部 金賞<2024年度植木光教基金・琉球みどりの文化賞>6 イメージ
この記事を書いた人 Avatar photo 外部執筆者

 35年前にマイホームを建てた。20代の頃は団地に住んでいて、ベランダに形ばかりの鉢植えのポトスが並んでいたが、植物に興味もなくポトスさえ枯らしてしまう私だった。家を建てる時、建築を担当している方が花好きで、庭のある素敵(すてき)な家を作ってくれた。花を育てるのが苦手だったから、主人が芝生を敷き、家の周りをフェンス代わりにとギチチャー(ゲッキツ)で囲いほったらかしで手入れも楽なようにした。毎週日曜日になると、2坪くらいの小さな庭だが主人は芝刈りを楽しんでいたが、困ったのは近所の猫の尿。芝生が黄色くなり臭いに悩まされ、とうとう10年目に芝生を剥(は)ぎコンクリートで固めることにした。周りからは緑を減らすのは地球破壊につながると冗談で言われたが、私は猫に負けたと言い訳をしていた。

 35年たった今、私の庭は緑いっぱいになっている。植物を育てるのが苦手だった私だが、娘たちが成長し手がかからなくなったことと仕事をやめたことがきっかけで、殺風景な庭に目が行くようになった。以前言われた緑を減らすのは地球破壊につながるという言葉がいつも気持ちに引っかかっていたから、2坪のコンクリートの庭に、大きな鉢を買いこんで藤の花、ヒスイカズラ、ニンニクカズラ、パッションフルーツなどのツル系を植えた。

赤嶺智子

 今はパーゴラの上を季節ごとの葉や花が這(は)うように木陰をつくっている。家族が憩えるようにと手作りしたテーブルで夕涼みをしたり、孫が来ればバーベキューをする場所へと変わった。水やりは一日1回だけだけど、井戸を掘り地下水で散水する。この私がこんなにも植物に興味を持てるようになったことが今でも不思議なくらいだ。心を込めて育てればそれに応えてくれるようにきれいな花を咲かせてくれ、実をつけてくれる。そして癒やしてくれる。植物を育てるのは第二の子育てのようだ。

 結婚して46年になるが、波乱万丈とまではいかないが多少の波風はあった。その中でも今も心をよぎる悲しさの一つに、娘の離婚がある。今は再婚して幸せな家庭を築いていて安心しているが、当時の私は苦しくてやりきれなかった。日々の生活をしないといけないから、普段通りに平常心をもって家族の食事の用意や孫の世話をこなしているのだが、ある日友達が訪ねてきて、庭の花が全部枯れているという。びっくりして庭に出てみると言われたように葉が茶色になり、花はうなだれ、カスカスな状態になっている。私の苦しみがわかるのだろうか。平常心でいるつもりで、水やりもやっていたはずなのに、何も見えてなかったと花たちに気づかされた。笑われるかもしれないが私は花たちに声をかけ、ごめんねごめんねと水をいっぱいかけてあげた。

 あの日から何年たったろうか、今は夫婦二人のオアシスとなった庭。仕事をリタイアした主人は、毎朝枯れ葉の掃除からその日一日が始まる。ブーゲンビレアは成長が速いので、枝切りをしての剪定(せんてい)作業に汗を流す。庭の花たちを見ていると、どんなことがあってもその時期が来ればちゃんと花を咲かせ、実をつけてくれる人生と同じだと思う。苦しい時を耐えることができればきっと明るい明日がやってくると庭の花たちに教えてもらった。

 地球温暖化対策のために緑を増やすことは個々でもできること。大げさに考えず例えば、ゴーヤーの苗を植えたら、その成長が喜びとなり、葉が木陰をつくり涼しさをもらえ、食べることのありがたさを家族で共有できるなんて素晴らしいことだと思う。まずは鉢植えからでも始めてはどうだろうか。

 今、娘たちは子育てに忙しいからか、我が家の花には目もくれない。若い頃の私のように。だけど年を重ねると、この緑や花が元気をくれると理屈じゃなく心が求めていることがわかってくるだろう。だから私は今日も子どもや孫たちの未来のために水やりをしている。