首里城、2026年秋に正殿再建 過去に5度焼失も立ち上がる<沖縄の象徴再びー首里城火災から5年>


首里城、2026年秋に正殿再建 過去に5度焼失も立ち上がる<沖縄の象徴再びー首里城火災から5年> 2018年 「朝拝御規式(ちょうはいおきしき)」第3部「大通り(おおとーり)=2018年1月2日、那覇市首里城公園の首里城正殿前御庭
この記事を書いた人 Avatar photo 沖田 有吾

 琉球王国の象徴として政治、経済、文化の中心地であった首里城は、過去に5度、失火や戦乱で焼失し、そのたびに再建されてきた。

 最初に建てられた詳しい年は明らかになっていないが、15世紀前半に築造されたと推定されている。中山の尚巴志が1429年に三山を統一し、首里城を拠点とした琉球王国が成立した。1427年に製作された琉球最古の金石文の「安国山樹華木之記碑(あんこくざんじゅかぼくのきひ)」には、明国から派遣されたとされる国相・懐機が、首里城の外苑(がいえん)を造成し龍潭(りゅうたん)を掘り、樹木を植えたことなどが書かれている。

2019年 火災で燃える首里城正殿=2019年10月31日

 1453年に王位継承を巡る「志魯(しろ)・布里(ふり)の乱」が起こり、首里城は炎上した。尚円が第二尚氏王統を築くと、16世紀には北殿や後の守礼門などが造成された。1660年、1709年にそれぞれ失火により焼失し、その後再建された。首里城は1609年の薩摩による琉球侵攻や、1853年のアメリカのペリー提督来琉など、大きな歴史の節目で舞台となった。

 明治に入り、日本政府は琉球王国を琉球藩とし、さらに廃藩置県によって沖縄県とした。1879年、政府は琉球国王に対して廃藩置県と首里城の明け渡しなどを命じ、琉球王国は終焉(しゅうえん)を迎えた。

戦前、首里城正殿が沖縄神社拝殿として利用されていた時期の写真。入り口付近に「武運長久」「国威宣揚」などと書かれた垂れ幕がある(那覇市歴史博物館提供)

 1923年、首里市会は老朽化などにより首里城の取り壊しを決定。鎌倉芳太郎や東京帝国大の伊東忠太博士らの働き掛けで、城内に新設される沖縄神社の拝殿として首里城は保存された。

 4度目の焼失は1945年。激しい地上戦が行われ、日本軍の第32軍司令部壕が首里城の地下に掘られていたことから首里城は米軍の攻撃目標とされ、一帯は壊滅的な被害を受けた。

1992年 1992年11月3日に復元、公開された首里城正殿などを一目見ようと集まった県民ら
1992年 1992年11月3日に復元、公開された首里城正殿などを一目見ようと集まった県民ら

 戦後、首里城跡に琉球大が開学した。再建への機運が盛り上がり、1992年には首里城正殿などが復元された。2000年には世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして首里城跡が登録された。

 19年10月31日の火災で正殿など7棟が全焼したが、火災直後から再建への機運が高まり、県内外、海外からも多くの支援が寄せられた。

2024年5月27日 首里城正殿の再建に向けて、正殿の屋根や軒回りの工事が終わったことを祝い建物の安泰を願う工匠式が行われる

 「令和の復元」では、木材や塗料、瓦などで県産の資材を活用する点が大きな特徴だ。また、扁額の地板の基調の色が平成の復元時の赤から黄色に変更されるなど、新たな知見に基づき変わる部分もある。

2024年 観光客が行き交う中、たたずむ首里城正殿が描かれた素屋根=2024年10月22日、那覇市の首里城公園

 25年の秋ごろには、現在正殿の工事現場を覆っている「素屋根」が撤去される見込みで、26年秋には正殿が再建される予定だ。新たな沖縄の象徴に、期待が高まる。

(沖田有吾)

15世紀前半この頃までには首里城が築かれたと考えられる
1429年尚巴志が三山を統一し、琉球王国が成立
1453年志魯(しろ)・布里(ふり)の乱で首里城全焼
1458年万国津梁の鐘を正殿に掛ける
1508年ごろ北殿創建
1527~1555年この頃、龍樋(りゅうひ)、待賢門(たいけんもん)(=後の首里門・守礼門)を創建
1609年薩摩の琉球侵攻
1621~1627年南殿創建
1660年火災で焼失(72年に再建)
1709年正殿、北殿が火災で焼失(15年に再建完了)
1846年首里城正殿の大修理実施
1853年ペリー提督が首里城を訪問1853年 ペリー提督一行が首里城を訪れた際の様子を描いた石版画(那覇市歴史博物館提供)1853年 ペリー提督一行が首里城を訪れた際の様子を描いた石版画(那覇市歴史博物館提供)
1877年フランス海軍のルヴェルテガ少尉(後に中尉)が首里城の写真を撮影1877年 ルヴェルテガの写真=1877年(県立図書館提供。原版所蔵者:Herve Bernard, France)1877年 ルヴェルテガの写真=1877年(県立図書館提供。原版所蔵者:Herve Bernard, France)
1879年最後の琉球国王・尚泰が首里城を明け渡す。琉球王国が終焉を迎え、沖縄県となる
1925年首里城正殿が「沖縄神社拝殿」として国宝に指定
1930年台風被害で正殿が崩壊の危機に
1933年歓会門、瑞泉門、白銀門、守礼門が国宝に指定される
1934年首里城正殿修理工事竣工
1944年12月日本軍第32軍、首里城の地下に司令部壕の造成始める
1945年4月末~5月沖縄戦で首里城壊滅
沖縄戦で破壊された首里城。手前の石垣が首里城城壁で、右側は円鑑池=1945年(那覇市歴史博物館提供)
1950年首里城跡に琉球大学開学(~85年)
沖縄で初めての大学として、1950年5月22日に首里城跡に開学した琉球大(那覇市歴史博物館提供)沖縄で初めての大学として、1950年5月22日に首里城跡に開学した琉球大(那覇市歴史博物館提供)
1958年守礼門復元
再建された守礼門。再建を祝おうと多くの人が集まったという=1958年10月15日、琉球新報紙面より再建された守礼門。再建を祝おうと多くの人が集まったという=1958年10月15日、琉球新報紙面より
1970年琉球政府文化財保護委員会が首里城復元計画策定
1972年沖縄県が日本に復帰
1973年首里城復元期成会発足
1986年旧琉大敷地の首里城跡地を国定公園に整備することが閣議決定
1989年11月首里城正殿復元工事着工
1991年南・北殿・奉神門等の工事着工
11月1日首里城正殿などが47年ぶりに復元、首里城公園が一部開園
2000年7月北殿で「九州・沖縄サミット」の夕食会が開かれる
12月首里城跡などを含む9カ所の城跡を世界遺産に登録
2007年国王が日常の政務や賓客の接待に使った格式高い木造建築物「書院・鎖之間(さすのま)」を復元、公開
2014年国王や王妃の居室「黄金御殿(くがにうどぅん)」、調理場のあった「寄満(ゆいんち)」 など4カ所が復元・公開
2016~18年首里城正殿の漆塗り直し作業実施。正殿の4本の柱「向拝柱(こう はいばしら)」 などに施された金龍(きんりゅう)なども修復
2019年10月31日火災により正殿、北殿、南殿、奉神門などが焼失
2022年11月3日正殿復元工事の起工式を開催。復元工事が本格的に始まる
2023年10月23日県、首里城ナンバープレートを交付
2024年3月14日沖縄戦で米国に持ち去られていた琉球王国の王の肖像画「御後絵」が県に返還される沖縄戦で略奪され、2024年3月に県に返還された「御後絵」。第4代国王尚清とみられる人物が描かれている=2024年4月30日沖縄戦で略奪され、2024年3月に県に返還された「御後絵」。第4代国王尚清とみられる人物が描かれている=2024年4月30日
7月15日首里城正殿で瓦ぶきの作業が始まる
2026年秋(予定)首里城正殿の再建完了