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<山田親幸さんを悼む> 知花光英(県視覚障害者福祉協会長) 点字受験の門戸開く 全盲の沖縄戦体験語り継ぐ


<山田親幸さんを悼む> 知花光英(県視覚障害者福祉協会長) 点字受験の門戸開く 全盲の沖縄戦体験語り継ぐ 子どもたちを前に、自らの戦争体験や平和の尊さを講話する山田親幸さん=2015年6月、南風原町の沖縄盲学校
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 山田親幸さんは沖縄盲学校理療科で生理学の教員をしていた。私にとっては恩師にあたる。とても厳しい指導で、授業は毎回熱を帯びていた。

 定年退職後は県視覚障害者福祉協会の理事と会長を務めた。学生時代を含め、50年以上のつきあいになる。山田さん自身も教員だったということもあり、教育分野に特に力を注いでいた印象だ。会長として周囲を巻き込む力はすさまじく、障がい者の地位向上と社会参画に努めた第一人者だった。

 また、沖縄戦の体験者として全盲の自身の経験を未来に語り継がないといけないという強い意思をそばにいて感じた。

 功績で特筆すべきは、全盲で県内初となる普通高校へ点字受験した宮城かし子さんを応援する活動であろう。「かし子の会」の代表世話人として各団体とも連携し、地道に機運醸成を図った。かし子さんの合格後も4~5人の視覚障がい者が普通高校へ入学することができた。県内の点字受験の門戸を開いたと言ってもいいだろう。

 2008年には沖縄視覚障害者福祉センターの新館設立にも尽力した。旧館の老朽化が指摘されていたことや、視覚障がい者の社会参画を促す拠点にしたいとの思いが常にあった。

 ご高齢ということもあったが息を引き取ったとの話を聞き、驚いた。長く活動してほしいと願っていたが残念だ。山田さんが残した功績を引き継いでいきたい。

 (談、県視覚障害者福祉協会長)

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 山田親幸さんは2日に死去。89歳。