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「社会貢献する闘牛」実践 <佐久川政秀さんを悼む>


「社会貢献する闘牛」実践 <佐久川政秀さんを悼む> 第100回秋の全島大会で沖縄全島一に輝いた古堅モータース☆若力(左)の勢子を務めてヤグイを入れる佐久川政秀さん=2013年、うるま市石川多目的ドーム
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 旧盆入りの朝、ウシ仲間の大里一雄さんからの電話があり、佐久川政秀さんが亡くなったことを知った。「うそだろう」と思いながら目を閉じると、にこやかな政秀さんの顔が幾重にも浮かんできた。先月、モアイに来た時のいつもの笑顔と元気な姿が永遠の別れとなった。家族の悲しみはいかばかりかと思うと、とめどもなく涙が流れた。

 それでも、悲しんでばかりもいられない、と19日、古堅闘牛組合の皆さんは政秀さんらしいお別れのセレモニーを企画した。石川多目的ドームのリング内に安置された政秀さんは、沖縄闘牛のチャンピオン牛の牛主や多くの闘牛ファン、友人たちから感謝とねぎらいの声をかけられ、永遠の旅立ちとなった。

 政秀さんのネットワークの広さは20日の告別式でも痛感させられた。供花の数の多さもさることながら、参列者は途切れることがなく、車列は予定の時間をこえても駐車場へと続いていた。なぜ、こんなに政秀さんとの別れを惜しむ人々がいたのだろうか。それは、政秀さんの30年余の闘牛人生が「地域や社会に貢献するウシオーラセー」の実践だったことから容易に理解できる。

 多くの実践の中からいくつか紹介すると、8年前には中部地区老人クラブ連合会の50周年を祝う闘牛大会を開催して100万円を寄贈し、今年の3月には能登半島復興支援として150万円の義援金を託している。もうかる闘牛大会よりも、「社会に貢献するウシオーラセー」こそが政秀さんの本望であった。

 政秀さんには「道しるべ」という日めくりカレンダーがある。その中の初日には「牛は家族の一員である」という言葉がある。そして、「家族と牛とどちらが大事といわれたら、どちらも大事と答えるが、家族の行事は闘牛の予定の次」といなしている。家族と闘牛を愛した佐久川政秀さんの本音であろう。政秀さん、ありがとう。合掌。

(宮城邦治、沖縄国際大学名誉教授)


 闘牛人気の立役者で古堅モータース号など数々のチャンピオン牛を育てた佐久川政秀さん(古堅闘牛組合長)は16日に逝去。67歳。