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外務省の定説覆す 解説


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

 日本への核持ち込みを事前協議の対象とした1960年の日米安保改定後も、米軍核艦船寄港を可能にする仕掛け作りが米公文書であぶり出された。未解明だった内容が含まれ、14年前の外務省調査に依拠した“定説”を覆す記録発見だ。
 2009~10年の政府の密約調査は外務官僚によるものと、外部有識者調査の2本立てだった。
 官僚調査は、安保改定段階で核艦船寄港などを事前協議の対象外とする点を巡り「日米間で認識の不一致があった」と分析。有識者は対象外か否かは安保改定交渉で詰められず、63年に米国が日本に「核艦船寄港は核持ち込みでない」と明言したのを機に密約が成立していったと結論づけた。
 また両調査とも、藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日大使が59年に交渉し、60年1月にイニシャル署名する「討議の記録」を密約文書とは認定しなかった。ただし調査対象は主に日本側文書で、しかも「討議の記録」が作られる交渉記録は外務省に存在しなかった。
 しかし今回、新たな米公文書から次の流れが判明した。米国は核艦船寄港などを協議対象にしないことを安保改定の「譲れない一線」とし、その文書化を日本に求めた。藤山外相はこれを口頭で了解するが、国会追及を恐れ文書化には反対。だが米国の強硬姿勢を前に「討議の記録」で妥協した―。こんな裏面史をつづる米公文書は、「討議の記録」が密約文書であることを強く示唆している。
 そしてより問題なのは、米側に記録があるのに日本側にはないという厳然たる事実だ。日本の文書管理がずさんだったのか、将来の文書公開に備えて意図的に廃棄したのか。後者であるなら「歴史への冒瀆(ぼうとく)」以外の何物でもない。
 (共同通信編集委員 太田昌克)