有料

戦後復興に尽力した志喜屋孝信の資料375点を寄贈 遺族が県公文書館に 沖縄民政府初代知事など歴任 人物像解明へ


戦後復興に尽力した志喜屋孝信の資料375点を寄贈 遺族が県公文書館に 沖縄民政府初代知事など歴任 人物像解明へ 県公文書館に寄贈された、志喜屋孝信文書の一部。右上が戦時中の記憶などを回想した手稿、中央が沖縄諮詢会について記した日誌。下はアルバム=18日、南風原町の県公文書館
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報朝刊

沖縄民政府初代知事などを務め沖縄の戦後復興に大きな役割を果たした志喜屋孝信氏が残した日誌や回想録、私信などの資料375点を、孫の嘉陽安昭さん(70)が18日、県公文書館に寄贈した。研究者は「寄贈によって研究が進めば、志喜屋氏の人物像が改まる可能性もある」と指摘する。

志喜屋氏は戦前、県立第二中(現那覇高)の校長を務め、1936年には私立開南中を開設した。戦後は沖縄諮詢会委員長や民政府知事、琉球大の初代学長を務めた。

資料は諮詢会について内容の記録や感想などが記された「諮詢會日誌」や41年12月の日米開戦から45年4月までの記憶を回想した手稿、東恩納寛惇、比嘉秀平や米軍関係者らと交わした私信、アルバムなど。戦後に発刊された「新沖縄」など、県内の図書館などで所蔵されていない新聞なども含まれている。公文書館はデータベースへの登録や個人情報の保護などの作業をした後、5~6月ごろをめどに一般公開する予定。

志喜屋氏の娘婿で嘉陽さんの父・嘉陽安春さんが管理してきた。安春さんは資料について、新聞での連載や書籍などで紹介してきた。嘉陽さんは研究目的の調査に対しては資料を公開してきたが、寄贈に当たって調べたところ私信などが新たに見つかった。

嘉陽さんは「寄贈できて、肩の荷が下りたような気持ち。広く研究してほしい。沖縄戦の後、地方自治を作り上げた先人の努力を広く知ってもらえると良い」と話した。


寄贈を仲立ちした琉球大の小屋敷琢己教授は「個人的な記述から、人柄を知ることができる。教育者としての姿を知る手がかりになると思う」と話した。

日本大学大学院博士課程で教育史を研究し、修士論文を執筆する際に資料群の原本を確認した宮里崇生さんによると、志喜屋氏はこれまで米軍に従属的な人物として描かれることが多かったが、占領の初期に書かれた随筆などの中には米軍に対して批判的な言葉など、内面の葛藤を示す記述もあるという。宮里さんは「今後研究が進めば、志喜屋氏の人物像が改められる可能性もある。原本が保存され、県民の共有財産となった意義は大きい」と話した。

 (沖田有吾)