宮川学大使、御無沙汰しています。
宮川さんと私は職種は異なりますが(宮川氏はⅠ種=当時、現在の総合職、私は専門職)でしたが外務省の同期(1985年入省)で、しかも私の方が大学院を修了しているので歳は少し上ですが、埼玉県立浦和高校の同窓なので、共通の知人も少なからずいます。研修語学も宮川さんが英語、私がロシア語で異なりましたが、当時、ロシア語の初級研修がイギリスで行われていたため、1986年6~8月は、バッキンガムシャー州の英語学校で机を並べて勉強したことを懐かしく思い出します。
また1991年10月、当時外務政務次官だった鈴木宗男政府代表に同行して外務本省から出張した宮川さんと一緒にリトアニア、ラトビア、エストニアを訪れ、外交樹立交渉に従事したことも記憶に残っています。相手がロシア語を話すときは私、英語を話すときは宮川さんと仕事を分担しました。会談記録の電報を作成するために2人で徹夜しましたね。
2002年に鈴木宗男事件に連座して私は外務省を去ることになり、宮川さんとも御縁がなくなりました。ただし、最近、沖縄を訪れ、複数の友人から「宮川大使は沖縄を知るためにさまざまな人々と会い、各地を訪問している。あの人は誠実な人だ」という話を聞き、とてもうれしく思いました。沖縄担当大使の中には、在沖米軍関係者、辺野古新基地建設に賛成する人としか接触しない人もいます。その中で、宮川さんのようなスタイルで仕事をする外交官がいることは素晴らしいと思います。
御案内のように、現在、沖縄の外務省に対する不信感が極度に高まっています。特に6月28日の上川陽子外務大臣の記者会見がよくありません。
〈6月23日の慰霊の日に沖縄全戦没者追悼式に出席した際、事件についてどう考えていたのか問われ「(事件を)すでに承知していて被害に遭った方を思うと心が痛む思いだった」とする一方で、「性犯罪で、公になることで被害者の名誉やプライバシーに甚大な影響を与えることがあり得ることを考慮して捜査当局が判断した。その捜査当局の判断を踏まえて外務省の公表を控えていた」と述べた〉(6月28日琉球新報電子版)。
上川氏は「(事件を)すでに承知していて被害に遭った方を思うと心が痛む思いだった」と述べているのですから、「心が痛む思い」を形で現すことができたはずです。本件に関しては、3月27日に岡野正敬外務次官がエマニュエル駐日米大使に綱紀粛正と再発防止の徹底を申し入れた事実があるのですから、この事実については、日本政府において外交を専管する役所である外務省の判断として沖縄県に伝達することができたはずです。
上川外相の発言要領を書いた外務官僚は、捜査当局、すなわち警察に責任を押しつけ、逃げ切ろうとしているとしか思えません。こういう当事者意識の欠けた外務省の対応は見苦しく、不誠実です。私も日本の外務官僚でした。外務官僚の仕事は、外国との関係で日本国民の生命、身体、財産を守ることです。沖縄県民も日本国民です。なぜもっと(沖縄を含む)日本の国益を体現する外交官として矜持(きょうじ)を持った活動が、沖縄を担当する外務官僚にできないのか、理解に苦しみます。
この難しい状況においても宮川さんならば、沖縄と日本の架け橋となる重要な役割を果たしてくれるものと確信しています。
(編注・宮川氏は外務省沖縄事務所の第15代沖縄担当大使)
(作家、元外務省主任分析官)