在沖米兵による新たな性的暴行事件が明らかになった。〈沖縄県内に住む成人女性に性的暴行をしたとして、県警が5日、不同意性交致傷の疑いで20代の米海兵隊の男を書類送検したことが捜査関係者への取材で分かった。県警は同日、県に事件を伝達した。/沖縄ではこの事件とは別の在沖縄米兵による二つの性的暴行事件が6月に相次いで発覚。県警や政府が事件を県に伝えていなかったことから、7月に情報共有体制が見直された。見直し後、今回が初の情報共有のケースとなった。/新たな事件が明るみに出たことで、県民の反発が強まることは必至だ。米軍の再発防止策の実効性も改めて問われる〉(5日、琉球新報電子版)。
日本の新聞もこの事件については報じている。しかし、日本政府も日本人もこの事件を同胞が犠牲となった犯罪と受け止めていない。辺野古の新基地建設をめぐる埋め立てに関しても、日本でも報道はされている。しかし、日本人は自らの問題として受け止めていない。日本人からすると、沖縄での出来事がとても遠いのだ。
ここで重要なのは、日本のマスメディアや国民が意図的に沖縄で起きている否定的現実から目を背けているのではないということだ。沖縄に対する無関心というのが、日本人の集合的無意識になっているのだと筆者は見ている。差別が構造化されている場合、差別をしている側は自らが差別者であるという事実を認識していないのが通例だ。構造的差別が続いているうちに、いつのまにか沖縄が「日本の中の異国」になってしまったようだ。
生活習慣も沖縄と日本では、だいぶ異なるようになった。筆者が住んでいる東京ではコメ不足が深刻だ。スーパーの棚からコメが消えてから1カ月近くになる。しかし、沖縄での事情は異なるようだ。
<「コメ品薄のニュースが流れていますが、県内ではそうは感じません。どうして?」/那覇市の40代女性からりゅうちゃんねる取材班に疑問が寄せられた。その足でスーパーを回ると、どの店舗でも積み上げられたなじみの風景はそのままだ。県内のコメ事情を探った。/(中略)そもそも全国的なコメ不足はなぜ起きたのか。2023年産米は昨夏の台風や高温の影響で流通量が不足。ことし1月ごろには既にコメ不足を懸念する声が上がっていた。当然、仕入れ値も上昇していった。/その状況下で県内のコメ卸業者が取った対応は―。「お盆があるので赤字覚悟で買い足しを続けました」。どの企業からも同じような答えが返ってきた>(3日、琉球新報電子版)。
お盆に米不足で同胞の沖縄人に不安を抱かせてはいけないと、沖縄のコメ卸業者が、経済合理性に反する行動をとった。こういう助け合いの文化を、日本系沖縄人である筆者はとても誇りに感じている。沖縄の自己決定権強化に関する動きは、コメ市場においても現れている。こういう沖縄の強さを過小評価してはならない。日本人が沖縄人に無関心ならば、それはそれでいい。こちらからお願いして、構造的差別に安住する日本人と付き合ってもらう必要はない。沖縄人は沖縄の利益を第一義的に考えて、行動すればいい。
(作家、元外務省主任分析官)