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琉球と沖縄 高良史観を再読する<佐藤優のウチナー評論>


琉球と沖縄 高良史観を再読する<佐藤優のウチナー評論> 佐藤優氏
この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 昨日と今日、筆者は名護市の名桜大学で集中講義を行っている。テーマは「琉球と沖縄」で、この二つの言葉が持つ意味領域の共通性と差異を通じて沖縄人のアイデンティティーについて考えてみたい。

 今回の授業では、高良倉吉氏(琉球大学名誉教授、元副知事)の『琉球王国』(岩波新書、1993年)を学生とともに精読し、議論することを通じて沖縄に対する理解を深めていきたい。本書は日本の政治エリートの注目を集めた。なぜなら沖縄知識人である高良氏が、琉球・沖縄をめぐる(沖縄における)主流派史観を厳しく批判したからだ。

 〈沖縄では被害者的歴史観が長く風靡(ふうび)しており、もはやイデオロギーの域に達している観さえある。薩摩による支配があり、琉球人は奴隷のように搾取されたという。宮古・八重山の離島では、人頭税という苛酷(かこく)な税制度が首里王府によって設定され、ミゼラブルな歴史を体験させられたという。明治政府の一方的な強行措置により琉球王国時代に終止符がうたれ、「沖縄県」が設置された琉球処分の歴史もある。そして、日本社会の仲間入りをしたにもかかわらず、風俗・習慣が異なるという理由で本土の日本人に差別された歴史があった。さらに沖縄戦では、「友軍」であるべきはずの日本の軍人に苛(いじ)められ、県民の四人に一人が命を落とした不幸な記憶もある。戦後はまた日本社会から切り捨てられ、アメリカの軍事的な直接統治下におかれたために、基本的人権さえ無視される苛酷な事態を体験した。つまり「暗い」、「苛められてきた歴史ばかり」なのだ〉(同書8頁)。

 沖縄が日本によって差別されてきたというのは事実だ。「暗い」とか「明るい」という評価とは別に沖縄差別という事実は事実だ。現在も在日米軍専用施設(基地)が、日本の陸地面積の0・4%を占めるに過ぎない沖縄県に70%も存在し、それが変化する兆しがないという差別が構造化された状況にある。しかし、それ故に沖縄と沖縄人の自主性や主体性を軽視することがあってはならない。

 高良氏は、沖縄人の大多数が日本に復帰したことを満足したという前提で、歴史像を再構成する必要性を問う。

 〈各種の世論調査によれば、復帰はしたものの、復帰の年から一九七七年までの五年間は、復帰してよかったと答えた沖縄県民は五割程度しかいなかった。しかし、現在では大多数の県民が復帰してよかったと答えるまでになっている。県民の大多数が「日本」復帰を希求し、県民の大多数がやがてその結果に満足したとすれば、歴史家は、この県民世論を背景に歴史像を再構成する義務を負うべきだ。沖縄が現在「日本」に屈すことを前捉にしつつ、では、なぜ「日本」に属するのか、属するとなればいかなる「日本」像を目標とするのか、といった基本的命題を、歴史家の責務としてひきうけることである〉(180~181頁)。

 高良氏が『琉球王国』を上梓したのは1993年のことだった。それから30年後に明星大の熊本博之教授らがまとめた「政治参加と沖縄に関する世論調査」では、こんな結果が出ている。〈「政治参加と沖縄に関する世論調査」では、アイデンティティーや沖縄に対する意識についても質問した。「自身を『何人』と思うか」という問いに対し、「沖縄人で日本人」が52%と過半数を超えた。「宮古人で日本人」「八重山人で日本人」を合わせると、複合的アイデンティティーがおよそ6割を占めた。「沖縄人」が24%、「日本人」が16%と続いた〉(2023年6月6日琉球新報電子版)。

 24年9月の現時点で、沖縄が日本に属するという前提が成り立つのか、高良氏の作品を素材としつつ学生たちと一緒に考えてみたい。

(作家、元外務省主任分析官)