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「米」と「律令制」 深まる公地公民思想 菅原文子さんコラム<美と宝の島を愛し>


「米」と「律令制」 深まる公地公民思想 菅原文子さんコラム<美と宝の島を愛し> 菅原文子
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 新米の発売時期を前に、スーパーから米が消えたと話題になった。グルテンアレルギーを起こす小麦と違い、アレルギーをほとんど起こさない(皆無ではないらしいが)米は最重要な主食として欠かせない食糧だ。

 その重要な「米」の国と、アメリカ合衆国を呼ぶ。昭和の大歌手淡谷のり子の「別れのブルース」の歌詞に「メリケン波止場の灯が見える」とあるように、アメリカをメリケンと言った時代がある。中国、韓国、ベトナムなどでは「美国」と書く。日本は米のように大事な国、という憧れと畏れが深層心理に働いたのかと、米国植民地状態の政治を見ると勘ぐってしまう。岸田文雄首相も最後のぜいたくで米国訪問に出掛けたが、総理に就任すると古代の遣唐使のようにお土産持参で米国政府にあいさつに参上する。なぜここまで米国に対して卑屈なのか。既に手遅れだが、大事な主食の米という字を当てたことで洗脳に輪が掛かっていないか。

 自民党総裁候補が那覇市内で演説会を行ったが、日米地位協定と辺野古新基地建設に触れたのは石破茂氏だけで、問題から逃げない姿勢を見せた。石破氏は国会議員に人気がなく、決選投票では不利と言われる。日本のトップは国民の支持より、米国にとって都合の良い、扱いやすい人物となるだろう。昭和の敗戦は今もこの国の基盤となっていることが身に染みる。

 だが、この国、国民が米国隷従から目を背け平然としているのは、昭和の敗戦で昭和天皇が天皇制存続と自身の命を守るため、今日に及ぶ隷従の下地の一端を作ったことだけが原因ではない。むしろ、明治維新政府は西欧的近代国家で目先をごまかしながら、内実は日本古代の律令(りつりょう)制で国家を作ったことが大きい。律令制の骨子は「王土王民、公地公民」の理念、国民も国土も丸ごと国の所有物という思想だ。

 辺野古新基地建設が客観的に見ていかに不合理な軍事建設であっても、全ての国土は王土、公地であり、国が決めたことに、王民公民は逆らうことはできないとする官僚思想を律令制と言わずして何と言うのか。この国は民主主義を装いながら、実態は律令制とのダブルスタンダードだ。政権はしきりに中国に「法の支配」と言うが、それは国民に対する脅しでもある。

 農地の管理についても同じマインドが働いている。国家の都合で米の生産高も左右され種苗法で自家採取の種は自由に使えなくなった。万一非常事態に至った時は、作付けの品種も国の命令が下るだろう。日本は衰退とともにさらに律令体制色を深めている。

(本紙客員コラムニスト、辺野古基金共同代表)