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政策練り党内外と論戦 <嘉数知賢氏を悼む>儀間光男


政策練り党内外と論戦 <嘉数知賢氏を悼む>儀間光男 少女乱暴事件糾弾、地位協定見直し要求の県民大会で登壇する嘉数知賢氏=1995年、宜野湾海浜公園
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 嘉数知賢さんの訃報を聞いて驚いた。昭和55年(1980年)に県議会選挙で初当選した自民党の若手7人組で「七人の侍」と言っていた。

 みな政策に通じていたけど、とりわけ嘉数さんは政策論議で中心的な役割を担っていた。彼を中心に政策を練って、みんなで共有して、党内の先輩や野党との論戦に挑んだ。

 自民党の先輩たちの古い体質に挑戦したこともあった。7人で「新風会」と名乗っていたが、先輩方からは「珍風会だ」とからかわれたよ。

 彼は体質的に酒を飲まず、言葉数も多くなかったから会議などでは聞き役になることが多かった。私はともに北部の出身ということで付き合いがあり、年は彼が二つ上だが言いたいことを言い合って禍根も残らない仲だった。

 ある時、私が彼に、知賢と危険を、愛きょうがなくて無愛想という意味の「かまじさー」と「シーサー」をかけて「世間では『危険なかまじーさー』と言われているよ」と言ったら「お前の方がかまじーさーだよ」と返してきた。

 大事な友人を失ってしまって本当に残念だ。まだ若いのに、惜しくてしょうがない。 

(元参院議員)