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【写真・年表あり】続く抑圧の歴史、時代の民意示す 過去の県民大会を振り返る 


【写真・年表あり】続く抑圧の歴史、時代の民意示す 過去の県民大会を振り返る  高校歴史教科書検定で沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述を削除・修正したことの撤回を求めた県民大会=2007年9月29日、宜野湾市の宜野湾海浜公園
この記事を書いた人 Avatar photo 熊谷 樹

 11月23日に那覇市の奥武山運動公園で、沖縄・日本の軍備強化・戦争準備に反対する「11・23 県民平和大集会」(「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」主催)が開催された。新型コロナウイルス感染拡大で大規模な集会が制限されてきた数年を経て、久々に行われた大規模な県民集会。9月24日に沖縄市で開かれたキックオフ集会には、70を超える団体や個人らが平和を願う一点で結集した。

 沖縄は戦後、米施政権下の圧政や復帰後の基地押しつけなど、抑圧に苦しむ歴史をたどってきた。県民集会、デモ、座り込み、人間の鎖-。人権が抑圧される局面で県民は結集し、さまざまな形で圧政にあらがう姿勢を示してきた。過去の県民大会や意思表示のあり方を、登壇者らの言葉と共に振り返る。

「一坪の土地もアメリカのものではない」

 戦後初の大規模な県民大会は米政権下の1956年7月28日、那覇高校グラウンドで開かれた「四原則貫徹県民大会」だ。軍用地料の一括払いを打ち出したプライス勧告に反対し、土地の新規接収反対など4原則の貫徹を訴える大会に15万人以上が結集した。大会はその後保革を超えた「島ぐるみ闘争」へと発展する。

米軍の軍用地一括払い(プライス勧告)に反対する「四原則貫徹県民大会」の登壇者ら=1956年7月28日、那覇高校校庭

 1987年6月21日には復帰15年の節目に合わせ、人間の鎖で嘉手納基地を完全包囲した。2万5000人が平和を願って手をつなぎ、基地反対の民意を示した。その後も人間の鎖は普天間飛行場での包囲でも行われるようになった。

普天間飛行場の無条件全面返還などを訴え、1万6000人が手をつなぎ普天間基地を取り囲む参加者=1998年5月17日、宜野湾市大山

「静かな沖縄を返して下さい」

 1995年9月に発生した米海兵隊員による少女乱暴事件を受け、翌10月21日に基地の整理縮小と日米地位協定の見直しを求める県民総決起大会が宜野湾海浜公園で開催された。戦後50年にわたり人権を踏みにじられてきた県民の怒りが爆発した。320団体が党派を超えて実行委員会を構成、土地闘争以来の「島ぐるみ闘争」が具現化する。当日は、家族連れ、高齢者、中高生までが自発的に足を運び、世代を超えて8万5000人もの参加者が会場を埋め尽くした。

米軍人による少女暴行事件を糾弾し日米地位協定の見直しを要求する県民総決起大会=1995年10月21日、宜野湾海浜公園

「おじい、おばあがうそをついているというのか」

 高校歴史教科書検定で沖縄戦での「集団自決」(強制集団死)の日本軍強制の記述が削除された問題を受けて2007年9月29日に教科書検定意見の撤回を求める県民大会が宜野湾海浜公園で開かれ、11万人が参加した。超党派で行われた大会は、宮古・八重山大会での参加者を含めると11万6000人となり、復帰後最大の抗議集会となった。

沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」の記述から「強制」を削除した教科書検定意見の撤回を求め多くの県民が参加した県民大会=2007年9月29日、宜野湾海浜公園

 2010年4月25日、読谷村運動公園で「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」が開かれた。普天間返還・移設問題関連では初の超党派の大会で、9万人が参加し、歴史的意義のある大会となった。2012年9月9日には米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが配備されることに反対する県民大会が宜野湾海浜公園で開かれた。この大会も超党派で開かれ、10万1000人が参加。オスプレイ反対の強い民意は、翌13年のオスプレイの配備撤回と米軍普天間飛行場の県内移設断念を求める「建白書」提出につながった。

オスプレイ配備に反対し、「NO!」のプラカードを掲げる県民大会の参加者=2012年9月9日、宜野湾海浜公園

「うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー」

 2015年5月18日、那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇で「戦後70年 止めよう辺野古新基地建設!沖縄県民大会」が開かれた。米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設阻止を訴え、約3万3000人(主催者発表)が集まった。2014年の名護市長選、県知事選、衆院選で示された新基地建設反対の民意を改めて国内外に訴えた。大学生でつくるSEALDs(シールズ)は全国一斉行動で沖縄との連帯を示した。辺野古基金に5億円を超す支援が集まり、県内の団体を幅広く網羅する「オール沖縄会議」も発足。辺野古新基地建設を拒否する民意はかつてない高まりを見せた。

辺野古新基地反対を訴える県民大会で演説する翁長雄志知事=2015年5月17日、那覇市の沖縄セルラースタジアム那覇

「第二の加害者はあなたたちだ」

 2016年6月19日、米軍属による女性暴行殺人事件に抗議する県民大会が那覇市の奥武山陸上競技場で開かれ、哀悼の意を示す黒い衣服を身に付けた6万5000人が駆けつけた。超党派とはならなかったが、若者や家族連れが多く参加した。これまで訴えてきた「基地の整理縮小」「県外移設」からもう一歩踏み込んだ「在沖米海兵隊の撤退」を初めて要求に掲げた大会となった。

米軍属女性暴行殺人事件に抗議し「海兵隊は撤退を」のプラカードを掲げる参加者ら。追悼の意を込め、多くが黒い衣服を身につけていた=2016年6月19日、那覇市の奥武山陸上競技場