【島人の目】五輪は平常心で


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 イタリアはトリノオリンピックで国中が盛り上がっている―と言いたいところだが、開会式が迫っても静かである。新聞やテレビなどはオリンピックについて最小限の報道しかしないし、国民もそれに呼応して平常心でいる。冷めていると言ってもいいくらいだ。
 2月のイタリアは例年プロサッカーの優勝争いが佳境に入り、国中が熱狂する。今年は特にユベントスという常勝軍団が記録的な勝率で勝ち続け話題になっている。そのせいでオリンピックへの関心が薄いのかとも思ったが、実は2年前のアテネオリンピックの時も、すぐ隣の国で開催された大イベントだったにもかかわらず、やはりイタリア国民は冷めていた。これには幾つかの理由がある。
 まずイタリア人はスポーツに限らず国際的なイベントに慣れきっている。また彼らは愛国心がそれほど強くないということもある。つい最近統一国家になったものの、イタリアの各地方にはかつての独立都市国家の精神が強く残っている。統一国家への愛国心が薄いのは仕方がない。さらに言えばイタリア人が、オリンピックに付いて回るいわゆる「純粋なアマチュア精神」なるものを、まゆつばものの潔癖、と見なして嫌う国民であることにもよる。
 イタリア語ではゲームや試合のことをジョーコという。ジョーコは「遊び」という意味である。イタリア人にとってはサッカーもオリンピックの競技も「遊び」である。スポーツである前に遊びの精神が優先されなければならないのだ。だから参加選手が国の威信を背負って気張っているような、オリンピックの堅苦しさがあまり好きになれないのだろうと思う。
(仲宗根雅則、イタリア在住、TVディレクター)