アルバート宮里氏を悼む ハワイ州政発展に尽力


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 元ハワイ沖縄連合会会長のアルバート宮里氏が逝去され、告別式が12日(ハワイ時間)に営まれる。その訃報(ふほう)に接し、私は深い悲しみと寂しさを覚えた。宮里氏には長い間懇意にさせていただき、今年10月の世界のウチナーンチュ大会でお会いできることを楽しみにしていただけに残念でならない。
 宮里氏は、両親が本部町出身で1925年生まれの日系2世。父親の昌平氏は、ハワイ沖縄救済会が戦後沖縄救済のため、豚550頭を沖縄へ送り届けた7人の勇士の1人である。この史実に基づく物語「海から豚がやって来た」の2004年4月ハワイ公演では、アルバート氏が練習舞台の確保など全面協力され、孫2人も出演。豚輸送の父親と劇中配役を重ね合わせ、深い感動を覚えておられたとのこと。
 アルバート氏は戦前14歳で来日、北九州市の寺で修行。1年の予定が太平洋戦争でハワイに戻れず、1947年まで7年間日本に滞在した。その間に、広く日本の歴史、文化を学び、後年ハワイでの日本文化紹介に大きな役割を果たされた。
 67年に南カリフォルニア大学で教育博士号を取得され、教育分野に奉職。校長、ホノルル教育長、ハワイ州教育次長など歴任、ハワイの教育界発展に多大の貢献をされた。76年にはジョージ有吉知事の補佐官として3年、州政発展に尽くされた。
 公職退任後も、ハワイ日系人連合協会会長など多くの要職に就かれ、活躍された。93年に、ハワイ日本文化センター理事長として会館建設募金で来日、ハワイ移民関係母県の多大な協力も得て立派な文化会館建設にご尽力。ハワイ沖縄移民100周年には、ハワイ沖縄連合会長として1世が築いた沖縄アイデンティティーの熱い思いを21世紀の次世代へ継承する記念事業を実施された。
 人々の厚い信頼と優れた人格で日米の懸け橋となり、幅広い分野でハワイ州の発展に多大な尽力をされたアルバート氏に心から敬意を表し、ご冥福を祈る。
(高山朝光、ハワイ東西センター沖縄同窓会会長)