【交差点】旧満州の写真取材


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 祝日を利用して秦皇島山海関と遼寧省西部のコロ島と錦州の3市に写真取材に出掛けた。夫が22年前、旧満州(中国東北地区)の18都市の建築物や人々の生活を写真に収めて写真集を刊行したが、今回は現在の東北地方を紹介するための1回目の取材である。

 山海関は「天下第一関」で知られている。1933年1月1日、日本軍と中国軍が衝突した山海関事件があった。日本統治時代には約2000人の日本人が住んでいたといわれている。現在は、天下第一関を基点とする明代模倣商店街が建設中であり、早朝から建設の騒音が響いていた。山海関では角山長城とコロ島に位置する九門口水上長城の撮影もした。
 コロ島は終戦後105万余人の日本人居留民がコロ島桟橋から日本に引き揚げた。22年前取材に先立ったアンケート中、引き揚げ者の方々の一番見たい場所の写真がコロ島桟橋であった。2005年に訪問した時には、桟橋付近に「日本僑俘遣返之地」の石碑が建てられていた。今はコロ島造船開発区の建設が進み、港は見渡す限り埋め立てられて、石碑を目印にかつての桟橋を思い描くのみである。
 錦州の引き揚げ者の方々の集中営があった馬杖房駅辺りは、現在は立派な亜鉛の工場が建てられていた。タクシーの運転手が2005年に撮影した写真と現場とをつき合わせながら、引き込み線のあった所は今はセメントが敷かれているところだと教えてくれた。
 軍事上の要衝の地であったこれらの町は絶えず戦乱が繰り返されてきたが、現在はその地理的優位性を生かして開発が急ピッチで進められていた。
(池宮城克子・観光情報雑誌編集者 新沖縄民間大使)