大津波耐えた南相馬二本松 「希望のシンボルに」


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 波しぶきにのまれる松林、全てを押し流した波が収まった後に残った2本の松―。2011年3月11日の東日本大震災で発生した大津波が、福島県南相馬市の海岸近くを襲う様子を、富澤貞嗣さん(37)=うるま市在住=が撮影していた。

現在、2本だけ力強く残った松を「希望のシンボルにしたい」と願い、保存活動を模索している。
 富澤さんは震災発生当時、南相馬市小高区の自宅にいた。激しい揺れの後、自宅の2階から外を見ると、川から波がさかのぼってくる様子が見えた。最初の波は田んぼに入ってきた。第2波は波しぶきを上げた。「最初、これで終わらないとは思ったが、第3波以降は高さが20メートルほどもあり、もう何回波が来たか分からなかった」という。
 そのとき撮影した写真には、海岸近くの松林が荒れ狂う大津波に襲われる様子が鮮明に写されている。当時は松が残ったことを意識していなかったが、震災から月日がたって見返して気付き、昨年夏、現地で確認した。周りの木々やガードレールなどは全て失われた中、立っていた2本。「“希望の松”として今後も生きられるような方法がないか」と考えるようになった。富澤さんは地元の人を中心に賛同者を集め始めた。
 福島第1原発の爆発事故後、原発から約17キロの地点にある富澤さんの家は警戒区域になり、昨年4月に解除となったが、区域内に入ることはできても宿泊はできない状況だ。「今すぐではなくても、もっと良い場所になって戻れるようになれば」と願う。また「農作物などは二重、三重のチェックをしているのに」と話し「福島産」というだけで避けられるような状況にも心を痛めている。
 富澤さんは、12日から14日(午前9時半~午後5時半、最終日は午後4時まで)の3日間、那覇市の琉球新報泉崎ビル2階で、沖縄県福島県人会の後援や沖縄食糧の協賛を得て写真展「今もある本当の空」を開催する。松のほかにも、津波が間近に押し寄せてくる様子など、命の危険を感じながら自宅2階から撮影した当時の生々しい写真が展示される。問い合わせなどは富澤さんのメールアドレスkame-tommy@live.jp
(高良利香)

1年後も2本だけ残っている松=2012年4月28日、福島県南相馬市
富澤貞嗣さん
津波に襲われる直前の海岸付近の松林=2011年3月11日午後3時39分、福島県南相馬市
松を全て覆う津波=2011年3月11日午後3時39分、福島県南相馬市