3・11大震災2年 迫る津波、恐怖に震え 島袋さん(沖縄出身)


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津波で家が流され、更地になった場所を指し示す沖縄市出身の島袋吉彦さん=23日、福島県相馬市

 【福島県で当銘寿夫】福島県相馬市に住む島袋吉彦さん(41)=沖縄市越来出身=は東日本大震災時、海岸から約400メートルの場所に立地する相馬共同火力発電の新地発電所内で補修工事の作業責任者として現場にいた。

巨大津波に備えて高さ約7メートルの建物屋上に避難したが、警報を聞いた職員からは「10メートルの津波が来るみたい」という声。警報通りの津波が来たら建物ごとのみ込まれる。「みんな、震えながら津波を待っていた」。当時の状況を思い出し、島袋さんは顔をこわばらせた。
 避難した建物と海岸との間に川が流れていたことが幸いしてか、島袋さんらが避難していた建物周辺の津波の高さは約1メートルだった。一方、海岸側の発電所建物には倍以上の高さの津波が勢いよく来ていて、止めていた400台以上の車は全て流された。海岸側の建物に避難した職員らは「島袋さんらは駄目かもしれない」と思っていたという。
 津波の水が引くまで一夜を発電所内で過ごした後、市内の高台にある妻千恵子さん(40)の実家に向かった。次々と流された家や建物、車が視界に入ってきた。平屋はぺしゃんこに、2階建て住宅は1階が破壊されていた。ハンドルを握る手が震えているのが分かった。作業用のカメラをいつも持ち歩いていたが「あまりにも怖い光景で、写真を撮ろうという気になれなかった」
 東京電力福島第1原発事故後、放射能汚染から逃れるため、千恵子さんと長女里菜(さとな)ちゃん(2)を遠隔地に住まわせることも妻と話し合ったが「子どもの未来を不安に思いながら、今もここで暮らしている」。除染作業は進まず、街の復興は程遠い。2年の歳月を経ても変わらない不安に肩を落とした。
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 2011年3月11日に発生した東日本大震災から2年を迎えようとしている。岩手県と宮城県、福島県は、地震と津波で甚大な被害を受け、県出身者も多く被災した。被災地では徐々に震災前の生活を取り戻しつつあるが、依然として東京電力福島第1原発事故やがれき処理など課題は残っている。被災地の今を本紙記者が報告する。