『新石垣空港物語』 八重山の底力をみる


社会
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『新石垣空港物語』 上地義男著 八重山毎日新聞社・1800円

 3月7日、八重山郡民の多くの夢と期待を担って新石垣空港が開港した。その間、実に37年という長い歳月が流れた。
 その原因は何よりも出発点におけるボタンの掛け違いにあった。それがサブタイトルにもあるように「八重山郡民30年余の苦悩と闘いの軌跡」をたどらせることにもなった。

 小さな島における大型公共工事施行において、関係住民への説明責任と不可欠な合意形成が十分に果たされなかった結果である。そのために賛成、反対双方が激しく対立し、公民館が分裂し、職場、友人間でも息苦しい雰囲気が八重山中に漂った。機動隊導入によって血も流れた。
 新石垣空港問題は著者があとがきで述べるように、事を成すに当たってはきちんとした手続きと、例え時間がかかっても議論を重ね、強引なやり方は避けることや開発と保護は二者択一ではなく、両立に向けて保護への負荷軽減に努力すべきであるという、大きな教訓を残した。
 結果的にこの両立に向けての模索こそが対立する人々を融合させ、建設実現に弾みをつけた。
 本書はこうした紆余(うよ)曲折を経て完成した新石垣空港の歴史を、八重山地元の敏腕ジャーナリストである著者が関係する人物と団体の動きを克明に描いたものである。
 著者にとっては「新石垣空港建設の歩みは、私の人生の歩み」(まえがき)であり、ここに本書が書かれる必然性もあった。
 この物語には立場の異なる多くの人物と団体が登場するが、彼ら全てがこの物語の主人公である。それぞれ悩み、傷つきながらも難問を解決した関係者に、著者は八重山の人々のパワーとエネルギー、あるいは島を思う「八重山の底力」をみる。
 だが、新空港の開港は決してバラ色の将来だけを約束するものではない。だからこそ、著者は本書の最後を次のように結ぶ。長い歳月と郡民を中心に内外の多くの人々の涙と汗で完成した悲願の空港が「造って良かった」とみんなに喜ばれる、そういう空港にすべきだ―と。
 (砂川哲雄・八重山文化研究会会員)
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 うえち・よしお 1948年竹富町生まれ。73年に八重山毎日新聞社入社。編集局長を経て現在は編集センター顧問。