嘉手納KC135墜落 米軍口止め、小波津さん「今話さねば」


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嘉手納弾薬庫のゲート前に立つ小波津一雄さん。奥に見える橋のたもとに作業用の台車を止めていた

 【嘉手納】1966年5月19日、KC135空中給油機が嘉手納基地を離陸直後に墜落炎上した事故を間近で目撃した元基地従業員の小波津一雄さん(72)=うるま市=が琉球新報の取材に対し、生々しい事故の状況を初めて明らかにした。事故直後、小波津さんら従業員は米軍から事故を口外しないよう誓約書を書かされていた。

21日には嘉手納基地への特殊作戦機CV22オスプレイ配備に反対する住民大会が開催される。来月に事故発生から47年を迎えるのを前に小波津さんは「今話さなければ、誰にも知られぬままになる」と重い口を開いた。
 空中給油機が離陸に失敗してフェンスを突き破り、嘉手納弾薬庫のゲート付近に墜落炎上した。道路を通行していた民間人男性1人が犠牲となり、乗員10人も死亡した。この日、小波津さんらは土砂降りの中で弾薬庫内の空調作業をしていた。昼食後、比謝川の川べりに止めた移動式の作業小屋で仮眠していた時、事故に遭遇した。
 激しい揺れで目を覚まし、仲間を起こして外に出た。川面に炎が広がり、比謝川に架かる鉄筋コンクリート製の橋の欄干がカミソリで削ったように根元から無くなっていた。移動式の作業小屋は日ごろ、橋を渡った先に止めていた。この日に限って橋の手前に止めていた。いつもの場所だったら、命を落としていた。
 事故直後、5人は所属部隊のトラックの荷台に乗せられ、ずぶ濡れのまま嘉手納基地内の人事部に集められた。「きょう見たことを口外しない」と記した誓約書に署名させられた。小波津さんは「面白くなかったが、言えば大変なことになると思った」と振り返る。事故から40数年間、友人にも話したことはない。
 小波津さんは今でも、嘉手納基地を離着陸する米軍機の下を車で通る時は無意識に速度を上げてしまう。「歴史は繰り返す。オスプレイだって落ちないとは限らない」と思っている。
 自らの体験を初めて明らかにした小波津さんはオスプレイ配備など在沖基地の機能の強化に厳しい視線を向け「声を上げないと何をされるか分からない。なぜ反対なのか、その理由をきちんと訴えるべきだ」と力みながら語った。(大城和賀子)