下地米一さん死去 元平良市長、宮古経済に貢献


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 旧平良市(現宮古島市)元市長で大米建設会長の下地米一(しもじ・よねいち)氏が17日午後9時ごろ、心筋梗塞のため宮古島市の自宅で死去した。91歳。旧平良市出身。告別式は21日午後3時から5時、宮古島市平良下里1254の大米建設宮古本店で。喪主は妻節子(せつこ)さん。

 1986年に旧平良市長に初当選し、2期務めた。任期中、宮古島の水源となる地下ダム建設推進や宮古と東京などを結ぶ航空直行便の開設、野球場と屋内練習場を整備し、プロ野球オリックスのキャンプを誘致するなど宮古の産業振興に尽力した。
 全日本トライアスロン宮古島大会の定員を拡大し、全国的な地位を築き、宮古島が「スポーツアイランド」として名をはせることに貢献した。2004年に旭日双光章(地方自治功労)を受けた。大米建設を創業し、一代で県内大手企業に成長させた。長男は大米建設社長の米蔵(よねぞう)氏、次男は政党そうぞう代表の幹郎(みきお)氏。