「村上春樹を読む」遠くまで行かなくてはならない


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なぜ、名古屋なのか
 村上春樹の新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、高校時代の仲良し5人組の話ですが、それが名古屋の高校での5人組であることは、驚きでした。
 私も読み始めてすぐに「えっ、名古屋なの…!」と思いましたし、同じように感じられた人も多かったのではないでしょうか?
 長編作品だけ見ても、前作『1Q84』(2009年―10年)は東京が舞台でしたし、その前の『アフターダーク』(2004年)も東京でした。

 名古屋付近の人が登場する作品といえば…私の脳裏にすぐ浮かぶのは『海辺のカフカ』(2002年)ぐらいでしょうか。同作には子どもの頃に記憶を失い、文字も読めないナカタさんという人物が出てきますが、このナカタさんを高松まで運ぶトラックの運転手として「星野」という青年が、東名高速道路の富士川サービスエリア(静岡県富士市)で登場します。彼は髪をポニーテールにして、耳にピアスをつけ、中日ドラゴンズの野球帽をかぶっています。
 中日ドラゴンズといえば名古屋です。青年の名前も星野です。中日ドラゴンズの象徴とも言える星野仙一さんと同じ名字です。
 このように『海辺のカフカ』で、星野青年が中日ドラゴンズの野球帽をかぶって登場するのは事実ですが、だからと言って名古屋の土地が舞台となって書かれているわけではありませんでした。星野青年とナカタさんのコンビは名古屋を通り越して、すぐ神戸まで星野青年のトラックで移動してしまうのです。
 では『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の仲良し5人組は、なぜ名古屋なのか? 今回のコラム「村上春樹を読む」では、この問題を考えてみたいと思います。
 彼らは名古屋市の郊外にある公立高校で同じクラスに属していた男3人、女2人の仲良し5人組。それは赤松慶(あかまつけい)、青海悦夫(おうみよしお)、白根柚木(しらねゆずき)、黒埜恵理(くろのえり)の4人と主人公の多崎つくるです。
 その5人組はとても仲がよくて「乱れなく調和する共同体みたいなもの」を維持しようとしていました。それは「正五角形が長さの等しい五辺によって成立している」のと同じようなものです。
 その5人組の中で、多崎つくる以外は、全員が色を含む名字で、それぞれアカ、アオ、シロ、クロと呼ばれています。
 色を持たない名前の多崎つくるだけが「色と無縁」の「つくる」の名で呼ばれ、「最初から微妙な疎外感」を感じていますし、「いつも自分を、色彩とか個性に欠けた空っぽな人間みたいに感じて」いましたが、でも「自分がひとつの不可欠なピースとしてその五角形に組み込まれていることを、嬉しく、また誇らしく」思ってもいたのです。
 そして多崎つくる以外の4人は、名古屋の大学に進みます。アカは名古屋大学の経済学部に、アオは有名私立大学の商学部に、クロは英文科が有名な私立の女子大に、シロは音楽大学のピアノ科に進みます。4人が進んだどの学校もそれぞれの自宅から通学できる距離にありました。
 でも多崎つくるだけが、東京の工科大学に進学したのです。彼は子どものころから、鉄道の駅が好きで、駅をつくるために東京の工科大学に進んだのです。理由は駅舎建築の第一人者として知られる教授が、その大学にいたからです。
 1人、故郷を離れて東京の大学に進学した多崎つくるですが、大学2年の時、20歳になる前に、突然、親友だった4人から絶交されてしまうのです。
 そして16年後、36歳になった多崎つくるが、2歳年上の恋人・沙羅に「そろそろ乗り越えてもいい時期に来ているんじゃないかしら」と言われて、そのつらい体験を乗り越える巡礼の旅に出るのです。
 そして旧友を訪ね歩き、多崎つくるは絶交の理由を知るのですが、その真相は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の中に詳しく書かれているので、未読の人は、ぜひ本を読んでください。
 さて、なぜ多崎つくるは4人から絶交されたのでしょうか…。これについて、私は「多崎つくるだけが、名古屋を離れて、1人、東京の大学に進学したからではないか」と考えています。
 多崎つくるが旧友たちに会う前に、沙羅が4人の現在を調べて教えてくれます。それを頼りに多崎つくるは旧友を訪ねます。
 アオはトヨタ自動車の優秀なディーラーになっていました。アカは一度、大きな銀行に勤めましたが、2年と少しで辞めてしまい、やや新宗教がかった自己啓発・企業研修の会社を名古屋で起業させて、成功しています。
 シロは殺人事件に巻き込まれて、浜松で殺されていて、既に、この世の人ではありませんでした。そしてクロは、前回のこのコラム「村上春樹を読む」でも紹介しましたが、フィンランドに住んでいました。
 彼女は無二の親友だったシロの人生を支え、面倒を見てきたのですが、大学時代に友達に誘われていった陶芸教室で「自分が長いあいだ探し求めていたもの」を発見します。その陶芸の道に本格的に進みたくなって、大学を卒業してから、芸術大学の工芸科に進んで、そこで制作に励んでいる間に、フィンランド人の留学生と知り合い、結婚して母親にもなり、フィンランドで暮らしているのです。
 そして、16年の歳月を経て、多崎つくるとクロがフィンランドで素敵なハグをする名場面があることは、前回も紹介しました。
 さてここで、この仲良し5人組の16年後の現在位置を考えてみますと、アオとアカの2人は名古屋に留まり、多崎つくるとクロは名古屋から離れた東京とフィンランドにいます。そして、シロは名古屋から少し東京よりの静岡県浜松に出たところで、その地で死んでしまったということなります。
 なぜ遠く、フィンランドの地で、仲良し5人組のうち、多崎つくるとクロの2人がハグをして抱き合うのかという点から、この物語の最初の問題、なぜ多崎つくるが他の親友4人から絶交されてしまうのかということを遡って考えてみると、やはり多崎つくるが1人だけ、名古屋を離れて、東京の大学に進んだことが、その絶交の原因ではないか、私には感じられてくるのです。
 村上春樹には、物事をきちんと見きわめるためには、いったん自分のいる場所を離れて遠くまで行かなくてはならないという考えや、少し小高い場所から、いま自分がいる場所を眺めなくてはならないということが、一貫してあるように思います。
 主人公の「僕」が北海道の稲作北限地である「十二滝町」まで行く『羊をめぐる冒険』にも、また東京から四国・高松まで行く『海辺のカフカ』にも、いまいる場所を離れて遠くまで行く感覚があります。
 私が村上春樹を初めてインタビューしたのは、1985年の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でしたが、この作品の「世界の終り」のほうの話には、その世界の入口の門のわきにある望楼に「僕」がのぼる場面が何度かあります。その望楼から「僕」は外の風景を眺めています。
 また高い壁に囲まれた、その街の坂をあがっていくと岩山となり、さらにその丘の頂上に出て、眼下の草原の向こうに黒々とした東の森が海のように広がっている風景を眺める場面もあります。その「風景は僕がいつも目にしている眺めとはずいぶん印象がちがっていた」と記されています。
 注意して、村上春樹の作品を読んでいくと、このような記述にしばしばぶつかるのです。例えば『アフターダーク』(2004年)にはハワイの神話が挿話として出てきます。
 漁に出た3人の兄弟が嵐で流され、海を漂流して誰も住んでいないハワイの島の海岸に流れ着く。そして神様が3人の夢の中に現れて「三つの大きな丸い岩をお前たちは見つけるだろう。お前たちはその岩をそれぞれに転がして好きなところに行きなさい。岩を転がし終えたところが、お前たちそれぞれの生きるべき場所だ。高い場所に行けば行くほど、世界を遠くまで見わたすことができる。どこまで行くかはお前たちの自由だ」と言います。
 一番下の弟は海岸近くで「魚もとれる」と言って、岩転がしをやめ、次男は山の中腹で「果物も豊富に実っているし」と言って、やめます。しかし一番上の兄だけが岩を山のてっぺんまで押し上げ、そこで、世界を眺めます。「今では誰よりも遠くの世界を見渡すことができた」そうです。
 そして新作『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の中にも、アカからシロの運命を多崎つくるが聞く場面で「つくるは砂に埋もれた古代都市を思い浮かべた。そして小高い砂丘に腰を下ろし、そのからからにひからびた、都市の廃墟を見下ろしている自分の姿を想像した」と記されているのです。
 アオやアカは世俗の世界でちゃんと生きられる、優秀な人物です。「魚もとれる」場所や「果物も豊富に実っている」場所で生きていける『アフターダーク』のハワイの兄弟の三男か次男のような人です。多崎つくるは長男に相当しているような人かもしれません。
 さらに名古屋という都市について、考えてみますと、村上春樹が名古屋を取材した旅行記『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』(2004年、村上春樹・都築響一・吉本由美の共著)のことを忘れてはいけないと思います。この本の冒頭は「魔都、名古屋に挑む」というタイトルで、かなり深く名古屋を村上春樹も探検しています。
 「名古屋道路事情」という文章には名古屋の超大企業であるトヨタ自動車の存在とトヨタ車の多さが記してあります。それに外車では意外とベンツが少なくて、ポルシェが多いことなどの自動車事情観察もあります。
 そういえば、起業して成功したアカは「おれは今、ポルシェのカレラ4に乗っている」と話していますので、この名古屋取材で得たことも『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に反映していると思います。
 そして、この中には「名古屋の人って、一度街を出ていくとだいたいもう戻ってこないし、出ていかない人はほぼ永遠にそこにずるずる留まってしまうという話を聞いたけど、たぶんそうなんだろうなと思わせられるところはあります」との言葉も出てくるのです。
 この考え方によれば、つくるとクロは名古屋を出ていった人です。アオとアカはほぼ永遠に名古屋に留まってしまう人です。
 そしてシロは名古屋を出たけれど、つくるやクロのように東京やフィンランドまでは出られなかった人です。タフではない、その繊細な弱さが死を招いたのかもしれません。
 アカの父親は名古屋大学の経済学部の教授です。アカも父親と同じ大学、同じ学部を卒業しています。アカは自分が起業した会社について「この会社のクライアントには、大学でうちの父親に教わったという人間が少なからずいる。名古屋の産業界にはそういうがっちりしたネットワークみたいなものがあるんだ。名大の教授というのはここではちょっとしたブランドだからな。でもそんなもの、東京に出たらまず通用しない。洟(はな)もひっかけられやしない。そう思うだろう」と、つくるに言います。
 大都市でありながら、まだ地縁や人のネットワークが生きている名古屋。その経済圏にはトヨタ自動車という超大企業の存在の影響があり、一流の会社員としても、その地域だけで完結できるような都市です。こんな大都市は日本では名古屋以外に思いつきません。名古屋は、この『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』という作品を成立させるために選びに選ばれた都市なのでしょう。
 「シロは密かにおまえのことが好きだったのかもしれない」とアカがつくるに言います。「だから一人で東京に出て行ったおまえに失望し、怒りを覚えていたのかもしれない」と言います。このシロを名古屋に残った3人が守る物語でもありますので、やはり多崎つくるへの4人からの突然の絶交は、多崎つくるだけが1人、名古屋を離れて東京に行ったことからのものだと、私は思うのです。
 「フィンランドは名古屋よりもずっと遠くにある」と沙羅が多崎つくるに言います。フィンランドを訪ねる前に、クロに連絡をしたのかを沙羅が問うと、アオやアカに対しても、予告なしで直接会いにいったので、「予告なしで直接会いに行こうと思う」と多崎つくるは答えます。
 でもフィンランドはずっと遠くにあるので「往復の時間もかかる。行ってみたらクロさんは三日前から夏休みをとってマジョルカ島に出かけていた、みたいなことになるかもしれないわよ」と沙羅が言うのです。
 この「フィンランドは名古屋よりもずっと遠くにある」という言葉は「ずっと遠くまでいかないと、物事はよくわからない」ということを村上春樹が語っているように、やはり私には受け取れるのです。
 「高校時代の五人はほとんど隙間なく、ぴたりと調和していた」。しかし「そんな至福の時は永遠には続くわけはない」ことを「最も感受性の強い人間だった」シロが誰よりも早く気づいて、乱れなく調和する共同体みたいなものを壊してしまおうとしたのではないか。そんな理解が、フィンランドまで行って、帰ってきた多崎つくるに訪れます。
 それは物語の最後に詳しく書いてありますから、未読の人は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』をぜひ読んでほしいのですが、「その感覚はつくるにもある程度理解できるものだった。今では理解できることだ」と村上春樹は記しています。
 その「今では」の横には傍点が打ってありますが、この「今では」は名古屋よりも、ずっと遠くにあるフィンランドに行って、物事のほんとうの真実を「魂のいちばん底の部分」で理解し、再び遠くから帰ってきた「今では」という意味なのだと、私は考えています。
 名古屋出身の仲良し5人組は、その後、すべて職業を持った人たちとして登場してきます。殺されてしまうシロでさえ、ピアノを子どもたちに教えていました。
 その中で、駅をつくるという職業の多崎つくると、陶器をつくるという職業のクロが素敵なハグをすることに、村上春樹の職業観がよく表れていると思います。2人とも、物をつくる人間です。しかもその物は駅も陶器も入れ物として、実際に人に用いられる物ですね。そういう物をつくる人として、遠くまで行った人たちの物語が『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』だと思います。
       ☆
 さていくつか余談めいたものを記しておきましょう。
 冒頭に紹介した『海辺のカフカ』の星野青年の登場の直前に、空からたくさんのヒル(蛭)が降ってくる場面があるのですが、ナカタさんは、その大量のヒルが降ることを予知できたようで(実はヒルを降らせた人物なのかもしれませんが)、ヒルが天から降る前に「空を見上げ、それからゆっくりとこうもり傘を広げ」て、頭の上にかざしています。
 大量のヒルのために高速道路の路面はタイヤが滑り、トラックの運転がたいへんなのですが、星野青年はヒルのことをよく知っていて「なあ、おじさん、ヒルに張りつかれたことあるか?」とナカタさんに話しかけます。
 続いて「俺は岐阜の山の中で育ったからな、何度もあるよ。林の中を歩いていると、上から落ちてくることもある」とも話しています。
 そして新作の主人公・多崎つくるの父親も「岐阜の生まれ」なのです。さらに多崎つくるの父親は「小さいうちに両親を亡くし、僧侶をしている父方の叔父に引き取られ、なんとか高校を卒業し、ゼロから会社を立ち上げ、目覚ましい成功を収め、今ある財産を築いた」と書かれています。
 『海辺のカフカ』が出た直後に読者からのメールによる質問に村上春樹が答えた『少年カフカ』(2003年)という本がありますが、その中でも「星野青年」はたいへんな人気者で、何度も登場しています。
 「岐阜から」という岐阜市の読者からのメールに答えて、村上春樹は「僕は岐阜にはあまりくわしくないですが(行ったことはありますけど)、なんとなく星野くんて岐阜だよな、という感じがして、岐阜出身に設定しました。岐阜を出て名古屋に行って運転手の仕事につく、みたいなシチュエーションなんだけど、いかにもっていう感じが(僕的には)ありました」と答えています。
 さらに好きな作家である小島信夫さんのことに触れて、「岐阜といえば、小島信夫さんが岐阜出身で、たしか岐阜弁を使って小説を書いておられます。面白い小説だったですが」と加えています。
 多崎つくるの父親は苦労して、一代で不動産業を成功させた人物という設定ですが、その不動産業を多崎つくるは継ぎません。父親としては、少しがっかりするのは当然ですが、でも多崎つくるがエンジニアを志望することについては「形のあるものをこしらえるのは良いことだ」と賛成しています。さらに「そう思うなら東京の大学に行くといい」と言います。名古屋を出て、遠くに行くことを後押ししているのです。なかなかいい父親ですね。
 また「ヒルって見たことがないんです」というメールもあって、それに対しては「僕は小学校のころに兵庫県の夙川というところに住んでおりまして、よく川に遊びに行きました。川には実にいろんなものが住んでいましたが、ヒルはその中でもいちばん気味の悪いやつでした。よくべったりと張り付くんです。そして血を吸う。血を吸うとぶよっと膨らみます。それをむしりとるのに苦労しました」と村上春樹は記しています。
 私も群馬県の利根川水系の支流の川沿いに住んでいましたので、よくヒルには血を吸われました。ほんと、嫌なものです。
 村上春樹はそのメールの答えの中で、ヒルのことがたくさん出てくる泉鏡花『高野聖』のことを紹介しています。もっとも『高野聖』のヒルは川のヒルではなくて、山のヒルです。星野青年が「林の中を歩いていると、上から落ちてくることもある」と話しているのは、もしかすると泉鏡花『高野聖』を受けてのことかもしれません。空から大量のヒルが降ることもそうかもしれませんし、さらに『高野聖』には飛騨地方のことが出てきますので、ヒルを語る星野青年の岐阜出身には『高野聖』のことも関係しているのかもしれません。これは、ちょっと妄想気味ですかね…。
 でも『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、初めて村上春樹を取材した時にも「泉鏡花なんかは割と好きです」と話していましたし、その泉鏡花の出世作が『高野聖』です。「もし読んだことがなかったら一度読んでみてください」と『少年カフカ』のメールでも村上春樹は勧めています。
 『少年カフカ』の内容を紹介し出すと、きりがないので、名古屋関係のことをあと1つ紹介して終わりにいたしましょう。
 また中日ドラゴンズの野球帽をかぶって登場する「星野青年」のことです。村上春樹が『海辺のカフカ』を発表した時は、星野仙一さんがちょうど中日から阪神に移った時でした。
 「阪神・星野監督」というメールに答えて、「そうなんです。この小説を書いている途中で星野のやつが阪神の監督になっちまったんですよ。ショックだったなあ。『なんてことするんだ、お前!』と怒鳴りたくなった。でもいまさらシチュエーションを変えるわけにはいかないし、真っ青でした。でもまあ、星野っていえば中日ですよねえ、なんといっても」と答えています。ですから『海辺のカフカ』はやはり名古屋を意識した小説でもあるのです。
 その『海辺のカフカ』の刊行は2002年9月です。『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』の連載は雑誌「TITLE」の「2002年10月号」からスタートです。その最初の「魔都、名古屋に挑む」は、もちろんそれより前の取材でしょうが、中日ドラゴンズの野球帽をかぶった星野青年がトラック運転手となった土地である名古屋を訪ねる目的もあったのではないでしょうか…。そんなことも妄想しております。ともかく、その名古屋探訪記が、今回の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の名古屋のリアリティーにかなり寄与しているのではないかと思います。
 そういえば、「魔都、名古屋に挑む」の中で村上春樹は「リージェント・ホテル」というラブホテルも取材しているのですが、ラブホテルを舞台にした『アフターダーク』(2004年)も、もしかしたら名古屋のラブホテル取材体験から、あのリアリティーが出てきているのでしょうか…。実は名古屋がらみの長編がたくさんあった…ということでしょうか。いやいや、妄想が尽きません。ですから、この辺で終わりにしたいと思います。(共同通信編集委員・小山鉄郎)
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小山鉄郎のプロフィル
 こやま・てつろう 1949年、群馬県生まれ。共同通信社編集委員兼論説委員。「風の歌 村上春樹の物語世界」を2008年春から共同通信配信で全国の新聞社に1年間連載。2010年に『村上春樹を読みつくす』(講談社現代新書)を刊行。現代文学を論じた『文学者追跡』(文藝春秋)もある。
 他に漢字学の第一人者・白川静氏の文字学をやさしく解説した『白川静さんに学ぶ 漢字は楽しい』(共同通信社、文庫版は新潮文庫)、『白川静さんに学ぶ 漢字は怖い』(共同通信社)、『白川静さんと遊ぶ 漢字百熟語』(PHP新書)など。
(共同通信)

販売開始の今年4月12日、都内の書店に積み上げられた『色彩を持たない多崎つく ると、彼の巡礼の年』
小山 鉄郎