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外国に住み「異邦人」として生きる上で、自分のアイデンティティーをしっかり保つのは何よりも大事なことだ。この歌集には、揺れつつも自ら立とうとする意志が満ちている。
三度目のサラートの声流れゆく炎昼にひとりわれは歌詠む
胸内に芒コスモスそよがせて月の砂漠に夫と佇む
タイトルにも含まれる「サラート」は、イスラム教の礼拝のことだ。夫の転勤でサウジアラビアに住んだ作者は、1日に5回のサラートを行う人々の社会で、日本人である自分をしっかり見つめる。日本の秋を心にそよがせる望郷の念は切ない。
こうした海外経験が、作者の視点に広がりと深みを与えたのだろう。さりげない日常詠にも、深い思索が漂う。
黙祷の時間を忘れ孫のためカレーを煮込む きょう慰霊の日
沖縄に生まれ育った作者であるにもかかわらず、ふっと「黙祷の時間を忘れ」てしまうことがあった。そのことへの鋭い悔恨と痛みが詠い込まれている。沖縄県人であれば黙祷の時間を失念するなど許されない、とばかりに真正面から詠うのではなく、さらりと自らを責めた。そうした詠い方によって歴史の風化に警鐘を鳴らす、作者の知が光る一首である。
南洋の海に散りたる祖父の霊戦利品とともにわが家へ帰る
慰霊の日の姑はひ孫を抱きしめて娘を殺さずによかったと泣く
戦後生まれの作者にとっても、第二次世界大戦は決して遠くない。基地問題などで日本の中の「異邦人」として意識させられる沖縄の悲しみは、通奏低音のように本書に流れている。
旧盆の三日しばられうつうつとわれは先祖の飯炊きをする
九十の母と二歳の孫のためぐつぐつ煮込むわれの時間を
家族を詠った歌には、歴史と文化、そしてユーモアに包んだ葛藤が込められている。くっきりとした光と影に加え、あいまいな境界をも詠み込んだ「異邦人」の視点が光る新しい沖縄詠の誕生である。
(松村由利子・歌人)
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いは・ひとみ 1948年本部町に生まれる。96年、琉球歌壇賞受賞。歌林の会同人。