オシャレに脱帽
伊坂幸太郎さんは本当にオシャレだと思う。
テーマ選びの妙、キャラクターの抜け感、文体の軽やかさ、会話劇のユーモア……小説を構成するすべての要素において、精緻なオシャレのラインコントロールがなされている。
全身、高価なブランドもので隙のないコーディネートというのは、かえって野暮ったくなるし、もちろん無頓着が過ぎれば、単にだらしないと断じられて終わり。TPOや、自分のキャラクターをそれなりに意識しながら、ほどほどのところでまとめあげるのが、結果的にもっともオシャレということになる。
本書の主人公は死神。その死神はケープをまとっているのでも、柄の長い鎌を持っているのでもなく、その時代に生きる人々に紛れるような姿形をしている。彼らの仕事は調査対象となる人間に接近し、観察。そしてその対象者に死を与えるかどうかを判断することである。死神から「可」と判断された者は数日以内に不慮の事故などで死んでしまうのだ。
本書の語り手である、千葉という名の死神の調査対象となったのは、最愛のひとり娘を殺されてしまった小説家。犯人と疑われていた人間は、裁判で無罪となるが、世間が知らない証拠をつかんでいる小説家は、妻とともに自らの手で犯人に復讐しようとする。そこに現れた千葉は、死神という仕事の性質上、小説家と行動をともにするのだが、死神ゆえの人間離れした能力によって復讐を手伝ってしまうことになる。
まず、死神が主人公というところからして荒唐無稽だが、生死の問題に直面せざるを得ないので、程よくシリアスになる。また人間の世界をいまひとつ分かっていない死神のとぼけた感じがおかしい。特に小説家夫婦との会話は、5分に1度くらい噛み合わなくて、その微妙かつ絶妙な噛み合わなさが、読み手の笑いを引き出す。台詞の応酬が抜群にオシャレだ。
やがて立ち上がってくるテーマ、「寛容は、不寛容に対して不寛容になるべきかどうか」。この哲学的な問いもまた、軽やかに進行していく小説に、適度な重量感を付与している。
ミステリー仕立て故、話の展開についてはここでは詳しく語らないが、物語はテーマに対する回答とともに、ユーモラスかつハートフルで、ちょっと意外な結末を連れてくる。その結末もまた、オシャレなのだ。
すごくオシャレだなと思うとき、書き手と読み手の間には、分かってるね、分かってますよ、みたいなコミュニケーションが成立する。それはちょっとした共犯関係であるし、分からない人もいるだろうけど私は分かっているという、ささやかな優越感を連れてきてくれる。それすら伊坂さんが計算しているのかどうかは分からないが、そんな気分に浸れる読書は、オシャレな人に褒められたみたいで愉快なのだ。
(文芸春秋 1650円+税)=日野淳
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ひの・あつし 1976年生まれ。出版社で15年間、小説、音楽、ファッションなどの書籍・雑誌の編集に携わり、フリーランスに。今、読む必要があると大きな声で言える本だけを紹介していきたい。
(共同通信)
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