『あとかた』 千早茜著


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 女のドロドロした情念を描いている、という文句が帯コピーとして謳われている小説がある。果たしてそれが売りになるものかと疑問に思わずにいられない筆者としては、そのドロドロ系をなんとなく敬遠してきた。

 千早茜さんもそういったドロドロ系の方のような気がしていたのだが、愚かな勘違いだったことが、最新作『あとかた』を読み、よくわかった。
 人の心の中にある、沼のような暗い水たまりの底に沈殿する堆積物―それは記憶や感情の集合体ということになろう―のありさまを、とても冷静に、繊細に描いている。その堆積物は、ある意味では死んでしまったものの集まりであるし、また考えようによっては様々な養分を含んだ豊かなものでもある。死んでしまっているとしたら、それは正しく弔われることを待っているし、豊かなものは再び生きる力として還元される機会を待っている。沼の底にささやきかけるようなこの小説は、弔いであり、救済でもある。
 結婚直前の女は、えたいの知れない中年男に理由も分からないまま惹かれ、夜をともにするようになる。女はマリッジブルーとも違った感情で、結婚に対して不安や恐れを抱いているが、その正体がなんなのかは自分でもよく分かっていない。一方、中年男は自分にも他人にも興味を失くし、まるで人生を投げ出してしまったかのよう。中年男の内側の空洞に吸い上げられるかのように、女の本心、つまりは沼の底にある堆積物が巻き上がる。
 第一話の流れをとても抽象的に説明するとこうなるのだが、本書は連作小説であり、各話で語り手も主人公も変わっていく。しかしどの話も、時間や肉体で重なった人たちの、それでも根本的には重なれない部分があるという絶望と、その絶望の底から新たな感情が立ち上がってくるさまを描いている。
 人は結局のところ独りだということは、もはや小学校の教科書にも書いてあるんじゃないかというほどだが、独りでなければ、独りだと分からなければ、気がつけないことがある。しかしずっと独りであればよいのかというと、それでは気がつくべきものの存在にすら気がつかない。他人と関係し、それぞれの領域を犯し犯された結果として、沼の底の堆積物がゆっくりと撹拌させられる。
 すごく面倒くさいけど、そういうものなのだと改めて思わされた小説だ。
 (新潮社 1400円+税)=日野淳
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 ひの・あつし 1976年生まれ。出版社で15年間、小説、音楽、ファッションなどの書籍・雑誌の編集に携わり、フリーランスに。今、読む必要があると大きな声で言える本だけを紹介していきたい。
(共同通信)

あとかた
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