『太陽の和声』 音響学への果敢な大転換


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『太陽の和声』田中眞人著 あすら舎・1500円

 『星への歩み』(1971年 思潮社)、『クラゴウの流れまで』(83年 海風社)の詩人―田中眞人が、30年の長きにおよぶ詩的沈黙をやぶって、ついに新詩集『太陽の和声』を、このところ「あすら舎」から上梓した。彼の詩的化構力の達成をこころひそかに待ち望んでいたものの一人として、このたびの『太陽の和声』の出現を喜びと驚愕(きょうがく)をもって迎え入れたいと思う。

 さて、田中眞人は、わたしにとって、〈コトバ〉のうまい使い手だった。これは、詩的言語の操作技術について言うのではなく、〈コトバ〉と〈コトバ〉が出会う秘密の通路のようなものを、生まれながらにしてよく心得た詩人―いうなれば天性のシュールリアリストのような気がするのだ。この詩的資質は、もちろん、先にあげた詩集にいかんなく発揮されていたことは、言うまでもない。ところでさて、今回の『太陽の和声』は、いかなる出来栄えを、どのような詩的表情をみせているのであろうか。
 このような問いを自らの胸に抱く読者がいるとすれば、この詩集を、ぜひ一度は手に取ってひもといてほしいと思うのである。
 さて、「きゅらさあれ 君よ 耳を開いて眼を閉じよ」とは、この詩集収録の詩篇「太陽の音が聴こえるソネット」のなかの、雄々しくも断言的命令形の1行であるが、この明晰(めいせき)な詩的戦略は、いうまでもなく、この詩集の成立を可能ならしめた根底的な詩的核心のひとつである。詩篇「鳥の巣あさり」では、このことは、「そこにとじこめられたひかりの半音が/よじり よじられてななつの音階に色彩を変えていく/未来を記憶するために」と、より具体的な詩的結実をみせている。つまり、言葉を凝縮して言い直せば、「南島」の具体としての風物の色彩学から音響学への、ひそやかだが、果敢なる大転換。それは、魂の深層の共鳴装置としての「わたしのオルガン」の創成を通して果たされた。従って彼は、「南島」の眼に見える具象界をつきぬけて、宇宙の幻視的ポリフォニーに耳を澄ます詩的自由を充全に生ききったといえよう。(新城兵一・詩人)
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 たなか・まさと 1944年、鹿児島県奄美市名瀬生まれ。68年に琉球大学卒業。詩集「星への歩み」「クラゴウの流れまで」を刊行。