『眠れる美女』 見ることに注ぐエネルギー


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 巨匠マルコ・ベロッキオの新作で、2009年にイタリアで実際にあった尊厳死事件を題材に、ベッドに横たわる3人の女性=眠れる美女をめぐる3つの物語が交錯する。(1)妻を安楽死させた政治家と、そんな父に不信感を持つ娘の物語。(2)植物状態の娘の看病に専念すべく引退した大女優と、俳優志望の息子の物語。(3)自殺願望のある女と、彼女を救おうとする医師の物語。

 眠れる美女たちは、見られる存在だ。周囲は、見ることができない彼女たちの分まで、見ることにエネルギーを注ぐ。故に、彼らが投げかける視線は、“まなざし”と呼びたくなるほどに力強い。例えば、政治家の視線は駅のホームにいる娘をやすやすと見つけ、娘は恋をした相手に視線を送り続ける。終盤には「どうしてそんなに見つめるの?」というセリフまで飛び出す。本作の魅力は、誰か、あるいは何かを見つめる瞳と、切り返される主観アングルの相互関係に支えられているのだ。
 一方で、大女優の視線は、自分自身にも向けられる。鏡像。鏡は、病室の入口や窓、TVやケータイ、医療機器のモニターなどと呼応し合って、“フレーム内フレーム”というさらなる視線の主題へと見る者を誘う。ベロッキオ作品の神髄は、映画が“視線の芸術”であることを我々に常に意識させるところにある。★★★★★(外山真也)

 【データ】
監督:マルコ・ベロッキオ
出演:トニ・セルヴィッロ、イザベル・ユペール、マヤ・サンサ
10月19日(土)から全国順次公開
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外山真也のプロフィル
 とやま・しんや 映画ライター&時々編集者。1966年愛知県出身。学生時代はヨーロッパ映画を中心に見ていたが、情報誌の仕事が長かったため、今は洋の東西を問わず、単館系からハリウッドまで幅広くが信条。主な執筆媒体:月刊TVfan、日本映画navi、ぴあ各誌。
(共同通信)

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外山 真也