『来夏世』 島人の精神文化を活写


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『来夏世』大森一也著 南山舎・2900円

 八重山の島々には、豊年祭や種取祭、節祭、結願祭などさまざまな伝統祭祀(さいし)行事がある。過疎化が進む離島の小さな島でも、人がそこに生活している限り絶えることがない。祭祀空間の中心をなす御嶽では司による神との交信が行われ、あるいは神を招く海上の神事が繰り返されてきた。

祭りを支えてきた農耕や社会構造が変容しているにもかかわらず、祭りが続いてきたのはなぜだろうか。
 今回、大森氏によって写し出された八重山の祭祀行事の写真は、新鮮な感動を与えずにはおかない。まさに島人の精神文化の原点を、写し出しているからである。
 写真の背後から、ユー(世・豊穣(ほうじょう))を願う祈りの言葉がもれ聞こえ、ドラの音が響いてくる。時代は変わっても、幸せを願う民衆の思いは変わることはない。
 著者は人と神とのつながりに引き込まれて、祭祀空間へと通い始める。しかし、人と神とのつながりは、特定の祭祀者や特殊な聖地に限らない、八重山の人たちが暮らす大切な「祈り」にこそあると気づき、カメラ・アイを広げていく。「祈りは、成就した願いも聞き届けられなかった願いをもいくつも経験した地域の人々が共有する、限りある命を超えた過去から遠い未来までつらぬく思いであり、静かな光のようなものだろうか」という。この写真集は、まさに「静かな光のようなもの」を求めたものだ。モノクロの写真が「静かな光」を、より一層引き立たせている。
 写真集のタイトルの「来夏世」は、「来る夏の世(豊穣)」を祈願する島の美しい言葉だ。五穀豊穣を意味するユー(世)こそは、島の精神世界を解き明かすキーワードである。巻末の県立芸大教授の波照間永吉氏による「『世ば稔れ』考」が、それを八重山や宮古の歌謡から考察し、本書を奥深いものにしている。その中で同氏は、二ライ・カナイという海上他界からの豊穣を乞う心情が、琉球弧普遍の文化から生まれたものとしつつも、その表現は南琉球固有のものであることを指摘。「南琉球の民人の苦難の歴史が、この句を生んだ」と結んでいる。示唆に富む言葉である。
 (三木健・ジャーナリスト)
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 おおもり・かずや 1962年秋田県秋田市生まれ。早稲田大学を卒業し、2000年より石垣島在住。