『与那国島 町史 第3巻歴史編』 複眼的に島の諸相描く


社会
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『与那国島 町史 第3巻 歴史編』与那国町役場

 日本最西端の地から『与那国町史 第3巻 歴史編』が刊行された。構成は序章「自然環境と島の現在」、第1章「古琉球時代の与那国」、第2章「近世の与那国」、第3章「異風の眼」、第4章「戦前・戦後の与那国」、第5章「分野ごとにみた与那国」からなり、先史から現代までを総覧する。

 第1章に宮古島、西表島から与那国島を照射した論考があり、第3章は近現代に島外から訪れた研究者・笹森儀助、鳥居龍蔵、本山桂川、須藤利一各氏の見た与那国島が紹介されている。このように複眼的に島の諸相を描いたのも本書の特色だろう。
 本書は創世神話である太陽所(ティダンドゥクル)の由来から始まる。編者の米城惠氏は、現行祭祀(さいし)の場から、船形の盃や供物をこの神話の象徴としてとらえている。このように神話が現在も生きて機能することは、島人が口碑に共感しつつ、それを暮らしの中で歴史的な経験として伝えていることを表している。この冒頭の提起が、複雑な歴史の脈絡を融合させ、本書の構想を支えている。
 例えば「船形の盃」は、祭祀の由来のみならず、15世紀の済州島民の漂流や、古琉球のネットワーク、近世史料に見る漂流・漂着の問題、久部良漁民の活躍、戦後の密貿易による景気時代など物語る心憎い装置に思われるのである。
 そこから、与那国島が辺境の地でなく、往古から交易の要所であったことが読みとれる。実際に口碑・伝承や広域的な交流を裏付ける考古資料も数多く示され興味深い。しかし、戦時下ではその要所があだとなり、米軍の攻撃対象となったのである。
 その他、戦前戦後の島の暮らしや産業が、隣接する台湾からの強い影響を受けたことを浮かび上がらせた成果も大きい。また、景気時代の証言も貴重だ。
 副題に「黒潮の衝撃波 西の国境 どぅなんの足跡」とある。その通り刺激的な内容だが、あらためて国境の意味を問われているようでもある。本書は歴史の潮流を見極め、未来を見据えるための羅針盤としての役割を果たすことだろう。 (飯田泰彦・竹富町教育委員会町史編集係)